金曜日: 京都に行った友人から、勤める大学の「西部講堂」を見てきた、との手紙(メイルじゃないよ!)を貰った。我々の頃は、西部講堂は、なんか汚いけど、関西ロックのメッカの一つという印象があった。ネットで見てみても、日本のロック黎明期の大切な役割を果たした、とか、大晦日のライブに出演したバンドは売れる、とか記されている。
自分は高校の時に一度だけ、大阪から京都まで見に行った。泉谷と中山(ラビさん)しぶ!のライブに、あの伝説の岡林信康(その頃百姓になられて引っ込まれていた、なつかし)が出るというので駆けつけたのだ。すごい長いライブで、椅子などなく地べたに座ってみていた。人人人で動きようがなく、小便が我慢できなくなって困った記憶がある。
僕の印象では、屋根は青一色(空ね)に塗られていたと思ったのだけど、今はもうそのような色合いはないらしい。黄色の星3つはまだあるそうだ。これも調べてみると、テルアビブ事件に関連して西部講堂には星3つが書かれたとのこと。そして西部講堂といえば、黄色い星と白い雲なんだそうだ(青い空はどこいった:笑)。
まあこちらの記憶なんてその程度のものだが、今も建て替えられることなく、あの雰囲気でたたずんでいるという。この大学には年に数回は行くのだが、すっかり記憶の外にあった。友人が言うには、是非あの西部講堂でまたライブをやろう!いいねえ。何やら来年の学園祭に申し込んでくれるらしい。そのころは自分50歳。よし復活祈念ライブといこうではないか。
2008年5月23日金曜日
西部講堂
投稿者 ngcoryell 時刻: 17:48