2008年5月31日土曜日

じめじめ

土曜日: 今日も朝から雨。雨よりもこの寒さにうんざり。このところ暖かかっただけに、この寒暖の差は結構こたえる。それでなくても(副作用で)寒気を感じやすくなっているので、今日はもうジンジン寒くて、上下とも1枚服を重ねて過ごした。動きがさらに悪くなるが:苦笑、仕方がない。ちょっと喉が痛い気もしてきた。なんか不味い。

この所家内は猫と格闘している。野良猫か他所様の猫かわからないが、人んちの庭に堂々と侵入してくる。まあ猫くらい侵入したって大したことではない(と自分なんかは思う)のだが、通過するだけでなく、必ずお土産を置いて行くのだ。これが糞であれば、まだ許せる?のだが、最近は mouse (の死骸)を誇示するように置いてあるそうだ(涙)。ペットボトルに水を入れておいておくと猫よけになる、等いろいろ対策をしているのだが、なんせ敵は身軽なので全く意に介せずやってくる。うーん、どうにかならないものか。

この5月はジメジメした気分で一杯だった。もはや背水の陣?なのでどっしりと構えたいのだが、やはり人間弱いもので、日々のちょっとしたことで一喜一憂してしまう。特に人間の機械的な動きを阻害され、具体的にはお腹が張りにより、不快感が増し動きが日に日に悪くなると、そこからくるプレッシャに押しつぶされそうになることもある(まだ大丈夫)。

そんな折でも学生からの連絡は嬉しい。今2名アメリカに学会に出かけていて(国際シェル・空間構造学会、この間の CG コンテスト最優秀賞をいただいた研究の発表)、無事講演が終わったとのこと。何とか質問もこなしたそうだ。ホントよかった。現地には全く偶然ながら、コーネル大学に留学した OB が自分の卒業式を終えて待機してくれていたようで、週末は3人でニューヨークで過ごすらしい。いいなあ。

じめじめした季節に、相応しい?ものはカビである。どうやら自分にも生えてきたみたいだ。鏡に写すとそこには、スキンヘッドから普通の丸坊主に進化しようとしている頭があった:爆笑。おかえりなさい、って感じかな。

2008年5月30日金曜日

痺れ

金曜日: 前回の薬の時には殆ど自覚症状としてでなかった、指先のしびれが少しだけ現れてきた。まだまだ痺れという程ではないが、多少指がぴりぴりする。冷たいものを飲むと喉が締め付けられる感じは、常温のものでも生じる。それから冷たいものに触ったときにもやはり指にしびれ(軽い電気ショックのようなもの)が走る。

これから夏になるので、冷たいものに触れないのはちょっと厳しい:苦笑。冷蔵庫の中のものは触れない、冷たい水で手を洗えない、極端なことを言えば、トイレの後で手を洗うのにも感じるようになるのかも知れない。もう今日だけで、学習効果なく(久々の老人力!)何度もピリピリ感を味わった:笑。

今はまだ大したことがないので、面倒くさくなって、しびれを楽しむように何もしていないのだが、そのうちこれも蓄積されてきて、結構きつくなるらしい。またまた悩みが増えることになった。確かに、お箸をもつのもペンをもつのにも少し違和感を感じる。何よりタイピングに支障がでるのは辛いなあ。

その少し痺れる手で Killing me softly を(ギターではなくピアノで)軽く弾いてみた。もちろん素人なので、ハ長調に直して:笑、右手でメロディ、左でコードを弾くだけなのだが、なるほど美しい音楽とはこうあるべきなのだ、とそのコード進行(音の構成)にひたすら感心する。これギターでは分らない、かなと思う。

まだ抗がん剤の副作用で、1日に何度か気分が悪くなる。食事をとること、栄養をとることは義務づけられているので、できるだけ顔張って食べる。腹水の方は2、3日でまた元通りになると言われていたが、今のところ目立つほど増えてはおらず、座っても立っても寝てもつらい、という状況は免れている。

というわけで、悪いなりに普通に過ごせている。明日で5月も終わり。いやあきつい一ヶ月だった(後1日あるけど)。

2008年5月29日木曜日

Killing me softly

優しく殺して、なんて、このブログに相応しくないタイトルである:笑、が、もちろん、これはそういうことではなくて、歌のタイトルの一部。この後に続くのは当然「 with his song 」で70年代に大ヒットした曲。CM にも使われたので当時は世代を問わずこの曲を耳にした人がいたのではないかと思う。

自分がいかにうまく訳したところで、彼の歌でやさしく私を参らせて、くらいだろうが、これを「やさしく歌って」と邦訳した方のセンスに脱帽。まさにそれがすべてである。歌手はロバータ・フラック。覚えやすい聞きやすいメロディに彼女のソウルフルな声が乗り、「Strumming my pains with his fingers」と始まると、本当に今でもぞくっとする名曲だ。

80年の後半くらいか、会社時代の友達と毎年の恒例行事として、よみうりランドイーストに Live under the sky という野外ジャズコンサートにでかけていた。毎年毎年ビッグなアーチストが出演し、スペシャルセッションも組まれ、夏の野外の開放感もあって本当に気持ちの良い一夜をすごせたものだ。

そのコンサートにロバータ・フラックが出演した。他の出演グループがマイルスだったか、ハービーハンコックだったか、ちょっと記憶にないが、少なくとも自分はロバータ・フラックが目的だったわけではない。でもちょっとこ難しいジャズのバンドの間に登場した、彼女の歌は非常に我々をリラックスさせてくれたと思う。

彼女の曲についての知識はこの曲以外は何もなかったので、ただただ音の流れに身を任せていた。そしてすっかり陽がくれ、夏の夜が深まろうとしたときに、いきなり無伴奏で「Killing me softly with his song」が始まったのだ。なんとも言えぬ安心感とともに、ほぼ全員が総立ちになったのではないかと思う。あのタイミングであのメロディ、あの歌を歌われるともう鳥肌鳥肌。結局その日の最も印象に残った曲になった。

今週始め、以前一緒に演奏したことのある女性から、今度この曲をやりせんか、と「やさしく歌って」を挙げてくれた。そのタイトルを聞いた瞬間に上記のことが一瞬にして頭の中を駆け巡った。さて自分は何をやるのだろう、歌かしら、ギターかしら:笑。ギターとピアノのデュオとうのもありか??でもせっくなら、Strumming my pains with his fingers と誰かに歌ってほしいなあ。

ちなみにこの歌は、すばらしい歌手がいるから、と聞きつけたコンサートで、人生を変えるほどのその歌に酔いしれる、といった内容です。

2008年5月28日水曜日

高齢者パワー

水曜日: 昨夜腹水を抜いていただいたおかげで、昨夜は「おまじない」の必要なく良く眠れた:笑。約2リットル近く抜いたので、ちょうど2kgくらい体重が減っていた。確かに効果はあり、今のところ楽になっている。が、所詮は対症療法なので、本質的に炎症部が治らなければ、2、3日でまた元通りになるそうだ(グスン)。

昨日は、隣で80歳の方が4時間輸血されていた。ご病気はなんですか、と聞かれたので、胃です、と答えると、私はもう4つめのガンで肺なんですよ、と仰った。輸血の間もずっと血痰を出されており、風邪ではないので、ご心配なく、と気をつかって下さる。義父は、いろいろ紆余曲折はあったが、全体的にベクトルは上向きで、ついに一般病棟に移り、リハビリまで始めたそうだ。義父もそろろ喜寿だったか。新聞には75歳のプロスキーヤーの方がエベレストに2回目の登頂に成功したとあった。

なんという後期高齢者の方々のパワー。こちらも顔張ろう、という気持ちになってくる。帰り際先生に、(今さらながら:苦笑)どういう風に毎日過ごしましょうか?と伺うと、全く普通に過ごして下さい、とのこと。もちろん動ける範囲でだとは思うが。講義の手配(代講)はすでに終えたので、しばらくは家で普通に過ごすことになる。

前の薬が切れてきたのか、爪が徐々に回復してきた。久しぶりにギターを持って弾いてみた。ピックならなんとかなりそう。左手は細かいローコードより、親指を使ったハイコードの方が楽だ。うん、バッキングなら何とかできるといったところか。ギターの音はやはり心地いいね。

2008年5月27日火曜日

点滴中

火曜日: 抗がん剤投与中。終了後腹水を抜くかも。フルコースだ!

今日は、薬を変えてからの化学療法1クール目3週目。トータル5時間強の点滴の合間に、こそこそっとブログを携帯から更新してみた。それが上記の1行。今日は PC を持たずに病院にいったので、携帯から更新ができるのか、を試してみた。携帯から、というよりは、メイルをこのブログに送ると自動更新されるしくみ。(なるほど便利だ、写真を添付するとそれも up される)

と、今は家に戻ったので、このブログを書いている。朝は事故で高速が渋滞。2時間近くかかり、お腹の張っている自分はもうそれだけでかなり疲れた。なんとかぎりぎり血液検査に間に合い、先生と今後の相談。血液検査の数字は改善されているので、そのまま治療を行う。ただ、腹水は外から見ていてもつらそうなので、今日抗がん治療が終わったら、緊急外来で抜きましょう、ということになった(プチプチ手術)。

5時間の点滴の間にも、あーだこーだと、体を動かしてお腹の具合を調整。ついで点滴が終わり次第場所を変えて1時間かけて腹水を抜いた。気分的にはすごく楽になった。今は少々興奮状態なので、勢いでこれを書いているが、そろそろバテルはず。この続きはまた明日。

2008年5月26日月曜日

メイド

月曜日; 数日前、ある雑誌に、大学の先生がふと誘われるように秋葉原のメイド喫茶に行き、そこで分らないまま「ツンデレ」コースを頼み、最初冷たくされ、あとでちやほやされるサービスを受けて呆気にとられる、という話が掲載されていた(フィクションです)。

もちろん自分も、メイド喫茶なる言葉は知ってはいるが、その実体は知らない(M科のKom先生なら知ってるかも?想像です!)。いわんや所謂「アキバ系」という言葉の意味も、マスコミや子供たちの話から何となく理解しているだけだ。「ツンデレ」であしらわれるのも一度はいいかも知れないけど、やっぱり「ご主人様!」の方がいいよね:笑。

昨晩、娘からメイルが来た。このところ大学祭の準備等で忙しいとは言ってたが、どうやら昨日一昨日がその本番だったらしい。添付写真がついていたので見てみると、なんとメイド喫茶をやってるではないか:爆。(どことなく田舎っぽいね!)

そうか、それでこの間秋葉原に皆で行くといってたのか。(彼女の大学は秋葉原から某私鉄で50分!)思わず、娘だけでなく回りの女の子たちも覗き込む(完全に親父だ)。なるほど、学園祭とは言え、自分の娘がメイドになるとは思いもよらなかった。ならば今度自宅で奉仕してもらおうか。(高くとられそうだ!)

この写真がおまじないになったのか、昨日は久しぶりにノンストップで熟睡できた。今日もあやかろう!

2008年5月25日日曜日

寝るおまじない

日曜日: 最近寝ている時間は多いが、連続して眠れている時間は本当に少ない。やはり繊細な体なもので:苦笑、ちょっとしたお腹の違和感で目が覚めてしまうのだ。だいたい2時間で必ず一度目が覚める。

今はお腹は張ってかちかちに固くなっており(いやホント)、それでお腹が痛くなったり、とても不快だったりして眠りが途切れることが多い。そうなると、ほら腰が痛いときに、寝る姿勢を自分で調整するように、あーでもない、こーでもないと色々体を動かして試す。

寝返りをうてない身にとっては、動かせる自由度は殆どないのだが、それでも膝足を立てたり、足を組んだり、広げたりしながら、手をお腹の各所にかざしたり、なぜたりしていると、不思議に、徐々に不快感が解消され、そのうち寝てしまう。

このところそんな日が続いているが、残念ながらこのおまじない、毎日ポーズを変えないと効き目がない:笑。一つずつ効果のあったパターンを試してみてもたいてい駄目で、その都度新しいポーズで寝ていることになる。これって外から見れば妙だろうね。(結局ポーズが役に立っているわけではないみたい!)

それでも、違和感が和らいできて、布団の中が人肌+くらいの温度になってくると、とても幸せな感じがしてくる。でもあまりいい気分になってくると、今度は起きるのが大変。低反発型のベッドで、沈み込む自分を自力で奮い起こす。

今あまり大きな期待はもたず、じっど潜行するのみ。明後日の病院までまだ後1日あるのね、、顔張る!

2008年5月24日土曜日

サァッ

土曜日: 予定どおりに雨。そういえばもう一週間もすれば6月、梅雨の季節がやってくるなあ、とちょっとブルーになる。でも今日はまだジメジメした感じはない。夕方前の雨が降るまでは家の窓を開けてずっと風をとおしていた。このひんやりさが気持ちいい。

今日は各種スポーツで盛り上がっている。バレー(北京出場おめでとう)、サッカー、野球(交流戦)、それに卓球。近年某テレビ局が卓球をとりあげてくれるので(女子中心だが:笑)、本当に良く観れるようになった。今日の試合は、世界選手権クラスの規模ではないが、一応ジャパンオープンと冠がつき世界の名だたる選手が出場している。

お昼に観たのは、福原選手と香港の選手の試合ダイジェスト。新聞に「サァッ」はやめてポーカーフェイス作戦で行きます、と書いてあった。マスコミは面白おかしくこの気合い?について書くが、卓球をやってる身からすれば、何が珍しいのか、理解できないくらい普通のことだ。

大学に入って、最初に大学の試合の応援にいったときは、関東風の応援や自己啓発の仕方に違和感は感じたけどね。これまた地方色があってよい:爆。自分は「サアッ」どころではない芸風であったそうだ(やっている方は無意識なので全く気づかない:笑)。

さておき福原選手、かけ声どころか、終始眉間にしわを寄せ、いかにも調子が悪そう or 楽しくなさそう。華麗なバックハンドを決めたときくらい嬉しそうな顔をして欲しい、と思って観ていた。全く歯が立たず 0-4 で敗北。何が彼女をポーカーフェイスにさせるのか、弱気の風だけが吹いている気がする。

午前中の風はひんやりと心地よく、休んでいる自分を癒してくれた。が、午後からは雨になり風が吹かなくなった。途端に気分が弱気に。半分夢うつつのときが一番心が無防備で辛くなる。でも負けてられない。起き上がるときには、「サアッ」と気合いを入れる。

2008年5月23日金曜日

西部講堂

金曜日: 京都に行った友人から、勤める大学の「西部講堂」を見てきた、との手紙(メイルじゃないよ!)を貰った。我々の頃は、西部講堂は、なんか汚いけど、関西ロックのメッカの一つという印象があった。ネットで見てみても、日本のロック黎明期の大切な役割を果たした、とか、大晦日のライブに出演したバンドは売れる、とか記されている。

自分は高校の時に一度だけ、大阪から京都まで見に行った。泉谷と中山(ラビさん)しぶ!のライブに、あの伝説の岡林信康(その頃百姓になられて引っ込まれていた、なつかし)が出るというので駆けつけたのだ。すごい長いライブで、椅子などなく地べたに座ってみていた。人人人で動きようがなく、小便が我慢できなくなって困った記憶がある。

僕の印象では、屋根は青一色(空ね)に塗られていたと思ったのだけど、今はもうそのような色合いはないらしい。黄色の星3つはまだあるそうだ。これも調べてみると、テルアビブ事件に関連して西部講堂には星3つが書かれたとのこと。そして西部講堂といえば、黄色い星と白い雲なんだそうだ(青い空はどこいった:笑)。

まあこちらの記憶なんてその程度のものだが、今も建て替えられることなく、あの雰囲気でたたずんでいるという。この大学には年に数回は行くのだが、すっかり記憶の外にあった。友人が言うには、是非あの西部講堂でまたライブをやろう!いいねえ。何やら来年の学園祭に申し込んでくれるらしい。そのころは自分50歳。よし復活祈念ライブといこうではないか。

2008年5月22日木曜日

流れ

木曜日: 本来なら明日は病院の筈であったが、前回のオキサリプラチンの投与(先週の月曜日)から14日たっていない、ということで治療が許可されなかった。先生は Go をしていたのだが、薬剤部のチェックにひっかかったそうだ。今はすぐにでも治療を受けたいのに。今度は来週の火曜。

体調は変わらず。良くはなってない気がする。食欲はある。体重は増減なし。いわゆる気分の悪さはなし。が、姿勢が悪いとお腹の圧迫感によりだんだん息苦しくなり、それで酸素が欲しくなるときがある。難儀だなあ。これまでにないパターンで一日が過ぎて行く。

お約束の昼食前と夕食前には2時間くらい横になる。場合によっては3時間くらい寝ている。が、最近は殆ど眠れない。ただ目を瞑っているだけ。いろんなことが勝手に頭の中をかけめぐる。昔なら退屈で仕方ないのだろうが、今は違う。この2時間はあっと言う間に過ぎる。1秒1秒体が休みたがっているみたいだ。

この1、2週間の間の変わりように驚くばかり。人間の体は偉大?だ。絶対にこの流れを変えてみせる。今は我慢。おそらくまた近いうちに入院して、腹水を抜いてもらうことになるのだろう。抜いたところで、ガンは直らないが:苦笑、気分は改善するだろうし、流れが変わるんじゃないか。

流れと言えば、先週末の卓球リーグ戦、無事リーグ残留できたようだ。最初の2戦、0-4, 0-4 で飛ばされ、迎えた3戦がラスト勝負で惜敗 3-4。ここで流れが変わり、その後2試合は快勝したとのこと。いやあよかった。夕方去年の主将からお見舞いのメイルをいただいた。早く皆に会いたいものだ。

2008年5月21日水曜日

Nicolas

水曜日: 夕方フランスから国際電話をもらった。以前から、電話で打ち合わせしよう、と言われていたのが、こちらの都合で先延ばしをしてきた。もともと同じ分野のライバル?の彼だが、アメリカからフランスに戻った際に、うちの大学と緊密な関係にある大学に職を得たのだ。

それ以来、互いのシステムを通して exchange を続けており、1年前くらいかな?共同で修士学生の指導をしようぜ、との誘いがあった。その具体的なプランを打ち合わせしたいというのが電話の目的だ。さすがに今の状況が今の状況なので、共同指導無理!、のメイルを今朝書いた。

そうすると、家に電話をくれた。お前どうやねん?、共同指導は無理や?、アホお前のガンの話や、といった感じで、2人で汚い英語で30分ほど喋り続けた。共同指導なんて大した話やあらへん、それより来年の7月までやったら最大3ヶ月こちらに来れるよう手配してあるから、2週間でもええし、場合によってはキャンセルされても全く構へん。はよ良ーなって来い。

2/3は向こうが一方的に喋り続けていたと思うが、あっという間に30分たった。最近の研究の話、家族の話などなど。。。さすがに疲れた。(信じられないかも知れないが筋肉痛!)でも元気をくれた。Many thanks.

2008年5月20日火曜日

甘い匂い?

火曜日: 今日は学会の2日目。うちの研究室の面々は今日に発表が集中しており、あと1名英国からの留学生を除いて無事終了したようだ。M1, M2 の5名は初めての学会発表で、かなり脅かしておいたので:笑、すごく緊張していたみたい。今頃皆で牛タンでも食べて祝宴をあげてるのかしら。

こちらは、食欲の方はそれなりにある。たくさんは食べられないが、地道によく噛んで:笑、何でも食べている。とりあえず毎朝それなりの快便はあるので(失礼!)、いきなり腸閉塞ってことはなさそうだ。こんどの薬の副作用として味覚の変化は(今のところ)でていない。

副作用といえば、前回のドセタキセル、イリノテカンの時に、爪が大きく変化した。今はこれらの薬をやめているので、やがては元通りに戻るのかも知れないが、現時点では、相当可哀想な状態になっている。爪がはがれかけているか、黒々と内出血しているかのどちらか。

はがれかけた爪からは、何やら体液がしみ出すこともある。昔から毒は爪から抜けるというが、まさに毒素が出ているのか、なんとも言えない匂いがする(もちろん異臭)。家内にこの話をすると、父ちゃん、その匂い爪だけでなく、体からでる成分全部に含まれているみたいだよ、と言われた。

本人はお茶を飲むときに、爪が鼻に接近して初めて気づいたのだが、それだけではないそうだ。もしかして、この涙目からも?少なくとも爪が元通りになるまで、延々と放ち続けてると思うと嫌になってくる。うーん、女の人にもてないじゃない(そんな必要はない?)。

幸い家内は四六時中近くにいるから気づいたようだが、幸いまだ息子からは指摘されていない。またまたケアすることが増えて大変だ:苦笑。

2008年5月19日月曜日

祝: CG 最優秀賞

月曜日: 本来は今日から仙台で学会だった。こちらは自宅で悠々自適?にお腹を抱えながら過ごしている。先週末は、学生の発表資料をオンラインでチェック。休んでない、と叱られそうだが、鬱鬱とした気分の転換にはなる。何より学生に頼られている、という感覚がまだ嬉しい。

ところで、この学会で CG のコンテストがあり、先生の許可なく:笑、学生が応募した作品が最優秀賞に選ばれたそうだ。いや世の中の「CG」のレベルからいけば全然大したことではないのだけど、我々の分野限定では、たまたまよかったということか。世の中バイオやらナノがはやっているが、そうではなく普通の構造形態であったのがよかったかも。

これ、「Tensegrity 膜構造の Diamond 型 Simple Layer モデルの形態解析図」というものです。なんのこっちゃ。

入院中に先生に伺ったところ、体内に腹水があるということは、胃や腸はその中をプカプカ浮いた非常に不安定な状態だそうだ。なので消化器系システムバランスが崩れて、色んな所見が現れる。浮いた感じ自体はよくわからないが、ある動作からある動作へ行くときに(寝てから起きる、とか、座ってから立つ)、圧迫されてた場所が解放されてそこに腹水が移動、んで臓器も動いている感じはする。

なので、あまり同じ状態をずっと続けていると硬直した感じになり、次の動作に非常に移りづらく(腹水の移動が遅い)なり、場合によっては結構な痛みが生じる。これ全部想像で書いているので真偽は?だが、動作がしにくいのは事実。今は同じ状態を30分続けてはなるべく立ち上がり体をほぐすようにしている。だから本当に落ち着きがない:苦笑

今日は、一日中体内でさかんに抗がん治療による生体化学反応が起きていて、常に攻められている感じだった。なんとか乗り切ったかな。お腹の張りもちょっと良くなったようだ。1日1日少しずつ、だ。

2008年5月18日日曜日

体力

日曜日: 体調は前日からさほど変わらず。体重は少し減少。気分は全体的に低調。抗がん治療の際は例外なく(少なくとも消化器系の治療では)ステロイド系の吐き気止めを最初に30分かけて流す。この吐き気止めが結構強く、金曜日、土曜日は比較的元気で、日曜日にどっと疲れがでる。これはこれまでも経験したとおり。

今日はその反動か、気分が悪いような悪くないような、力が入るような入らないような、不快な気分が継続する。ふと思えば、先日の月曜日に入院して以来、お腹の張りが気になったり食欲不振だったこともあり、あまり食事をとれてないことに気づいた。そう言えば家内もそのようなことを心配してビタミン剤を食卓の上に置いて行った。

この力の入らなさは栄養不足に違いない。こんな単純なことに気づかないほどメゲてたのか:苦笑。夕寝から起きてきて、栄養価の高いスープを含めて、食事を頑張ってとれるだけとった(といってもたいした量ではないが)。強い抗がん治療を行った後は、吐くのも恐ろしくて食が進まないときがあるが、もうそれどころではない。体力が基本ではないか。

お腹の張りは増した?ような気もしたが、ちょっと元気が戻ってきた。夕食前までは PC に向かうのも煩わしかったのに。今はこうして blog をうっている。それにしても人間(自分だけ?)学習しないものだ。昨年度同じようなシチュエーションを体験しているのにも拘らず、自分を見失っている。

夕方、体にむち打って:笑、総合格闘技をテレビで見た。真菌症でこの3年間に2度程死にかけた選手が、復活のリングに立っていた(多少演出はあるかもしれない)。試合は往年の鋭さはなく、スタミナ切れの試合だったが、なんとか乗り切りインサイドワークで判定勝ち。内容に納得しなかったのか、もう一丁だ、と叫んでいた。

そうだ。今は不調かも知れないが、ここを乗り切れば、必ずやチャンスが芽生えるはずだ。

2008年5月17日土曜日

負けたらあかん

土曜日: 相変わらず良く眠れることは良く眠れる。同時に日頃考えていることが夢に出てくる(うなされている?)ダイナミクスの講義ノートを作っていると、夢の中の主人公は脈略もなく、慣性力だの、変な言葉を喋っている:苦笑。昨日は久々に卓球の夢を見た。元気に昔の仲間と卓球をするところだった。

そう言えば、今日から関東学生リーグ戦であることを思い出した(だから夢に出てきた)。まだ(母校の)コーチとして登録されている。一試合くらいベンチコーチに入りたかったなあ。今回は勤め先の大学との一騎打ちも予定されている。これは母校は残念ながら全く勝負にならない。そもそも今の大学が同じリーグいることが問題なんだけど(愛ちゃんのいるライバル校と比べるとてんで弱い)。いずれにせよ選手の健闘を祈る。

昨日のブログを読み返してみると、ピークが終わり下り坂を迎えたい、と書いている。「下り坂」って言葉を思わず使ったようだけど、これってどちらかと言えばネガティブな言葉だね。人生下り坂とか:苦笑。意識せず使ったということは、よっぼど坂道を下るように楽したい、という気持ちの現れなんだろう。実際結構昨日は辛かったし。

昨日投薬して 5FU の副作用はさほどでもなさそうだ。今日は気分は悪くない。予定では、5FU が効いてきて、利尿剤の効果もでて、徐々にすべてが改善していく筈なのだが..なんとか次回の病院までには、ある程度回復したいなあ。今朝起きたときは、久しぶりに寝汗を書いていて発熱したか、と思ったが、そこはクリア。午後になり、なんとなく張りが改善したような気がした(ちょっとだけね、気持ちの問題か、でもそれが大事)。

ガンというのは、安静にして、治療を受けているだけでは、必ずしも改善しないのがこの2週間でよくわかった。治る気持ちも負けているつもりはないのだが、日に日にどこかの歯車が狂うこの精神的、肉体的プレッシャは結構なものだ。お腹の張りが強いと、歩行も不自然になり、弱気な書き方をすれば、そのうち歩けなくなるんでは、と思ってしまう。

今朝母に電話をした。「あんた、負けたらあかんで」わかっとるわい:笑。夕方娘から写真付きメイルが来た。今日はソフトボールをした!今から宿題のレポート!明日は男子の試合の応援と打ち上げ、いいねえ、皆からの言葉が一番の薬だ。

2008年5月16日金曜日

踏ん張りどころ

金曜日: 這うように?病院へ(ちょっと大げさ)。順調に午前中に病院に到着したが、何と午前中の診察予約が50人もあり(自分は午後2番)、午後になっても延々と診療が続いている。そもそも50件もの予約を入れること自体、もうすでに予約とは言えないのではないか?(一人5分だとしても4時間以上!)

さすがに、いらいらした午後担当の先生が、急遽他の部屋を探しだして診察開始。この辺りは多少はフレキシブルである。血液検査の結果は、炎症反応が出ている以外は抗がん治療の継続に特に問題ないとのことだった。白血球は下がるどことか増えていた!(これもやはり体内で少し異常あるということ)

お腹の張りについて再度診てもらった。一つは腹水がたまっている、これは血液の循環が悪いことにもよる。先日の腹水検査で、やはりガン性細胞が含まれた腹水だったが(これは予想どおり)、ひどく濁ったような腹水ではないとのこと(まだ大丈夫?)。今後腹水が減らないようであれば、入院して抜くことになる。

もう一つは、胃から湿潤して腸に到達したガン細胞により、腸が癒着し腹膜炎を起こしている可能性。こうなると腸自体が固くなるそうだ。これが進行すると最悪の場合は腸閉塞に至る(食べるものをすべて吐き、便がでなくなる...これは今のところまだ便が出ているので大丈夫そう)。

話をうかがっていると、クラクラクラとするばかりだが、結局は元を断たねば駄目ということである。今度の化学療法で腸の部分の炎症が収まるのを期待するしかない。あまり対症療法はしてこなかったが、今回は腹水が減る効果はあるでしょう、とのことで利尿剤をいただいた。尿の出を促進することで、浸透圧の関係で腹水が血液に戻る。

無事2時間の点滴を終え自宅に戻った。昨年10月に最初のピークがあり、今2つ目のピークが来ているのだろう。これを乗り越えれば後は下り坂であることを切に望む。

2008年5月15日木曜日

強がりはなし

木曜日: 久々に辛い日だ。3つの責め苦にあってる感じ。全体的に怠いのは、副作用のせいか。お腹の張りは日に日に酷くなるような感じがあり、あばら骨や背中まで圧迫感が伝わってくる。その上、時々普通に胃の中がグルグルするし時々痛みが走る。

横になっていれば確かに楽になるが、今度は寝過ぎ?で背中やら色んなところが痛くなる。うーん。辛い。特にどれ一つ致命的な鋭い痛みというのはない。じわじわと責めて来る。肉体的にもきついが精神的にもきつい。

さすがに今日はあまり何をするパワーもなく、漫画を読んで過ごした。辛そうにしていると、家内が、いいねえ、いいねえ、久々に病人らしいねえ、やっぱり元気すぎたんだよ、それくらいが普通、と言って励ましてくれる。ここは確かに顔張りどころ。

どうみても体のシステムバランスが崩れている。幸い明日は病院。すがるような気分とはこのことか?どうにか良い方にチューニングしたい、してもらいたい。

2008年5月14日水曜日

退院

水曜日: 予定どおり退院。今回は明後日に2回目の投与を控えての退院であり、ちょっと忙しいスケジュール。これまでと違うところは、気分が良くなったかと思うと、またぶり返すといった感じで安定しない。まだ投与2日目なのでこんなものか。吐き気はさほどないが、ゲップというかシャックリが繰り返すのはいつもの通り。ちょっとしたことですぐに寒気も走る。

腹水が増えると顕著に体重が増えるということで、今朝恐る恐る病院で体重計に乗ってみた。500g程減っていた。が、これは昨日あまりものを食べれなかったせいだろう。でも増えるよりは増しか。腹水がたまる原因というのは幾つかあるそうで、血液の循環がうまく行ってない等、この時は例えば足にもむくみなどが現れる。まだ先週の土曜日に行った検査結果が出ていないのでなんとも言えない。金曜日には何かわかるだろう。

今は、お腹の中が反応してグルグルしたりとか、胃腸内で痛みが走ったり、というよりかは、胃の張りあるいは圧迫感がすごく、妊娠?したような感じである。これにより激痛が走ったりするわけではないので、動かない分には普通に過ごせるが、いざ動き始めると何か他人のお腹を乗せてるような感覚。この不快感が腹水から来るものなのかどかはまだわからないが、この際この治療でまとめて治ってくれることを期待するしかない。

ほぼ1週間ぶりの家はやはり快適だ。あれだけ病院で寝たのに、家に戻るやいなやベッドで熟睡。低反発性(粘弾性タイプ)のベッドを使っており、一度沈み込むと弾性反発がなくなかなか起き上がれない。なので寝返りが少なくなりぐっすり休めるといううたい文句であった。今は、変にポーズが変わりお腹への負担が変わるのが嫌なので、このベッドはとても重宝する。(最初このベッドで寝たときは、スプリングが効かないのでとても違和感があった、今ではすっかり馴染んだ。)

来週から仙台へ学会出張であったが、治療スケジュールが変わり金曜日に2回目の抗がん治療となったので、やむなくキャンセルすることにした。研究室で9件もの発表を行い、集団大移動となるので(宴会を?)楽しみにしていたが、仕方がない。少なくともお腹の水がなくなるまでは、遠出は断念。先生によると腹水があるからといって、寝てばかりでは駄目で、適度に動けとのことなので、大学にはでかける予定である。後は副作用との兼ね合いか。ともあれ、気をしっかり高く掲げて行こう。

2008年5月13日火曜日

抗がん治療の翌日

火曜日: 昨晩は、一時目を冷まして、少し気分が悪いかなとも思ったが、特に問題もなく朝を迎えた。ただ頭が結構ボーッとしており、熱はなかったが血圧が170−100と高血圧ゾーン。いつもは何度か測れば下がるのだけれど、今回は5度とも同じ数字。これも副作用かと諦める。看護師さんも心配してくれて、しばらく横になってから再測定。1回目はダメ。しばらくおいて2回目で、ようやく150—90台まで戻った。

抗がん治療の翌日は、これまでの経験から重たい日になる。シスプラチン程ではなかったが、今日も午後からは少し気分が優れなかった。食欲も控えめ。食べられないことはないのだが、胃の調子や気分が悪くなったときのことを考えると箸が進められない。喉越しのよい、ゼリーとオレンジ(そんなに冷えてない!)はしっかりいただいた。

お腹の張りは、少し改善したかって感じ。改善というよりは慣れた。という方が適切か。このお腹の張りについては、胃と腸の連動した動きがぎくしゃくしているために生じている場合もあり、それを滑らかにする薬をいただくことにした。それから腹水による影響もある。これについては今後も経過観察。今後体重が増えるならそれは水がたまっているということだ。(入院してから、体重が増えているので、少し心配。)

5日が経過して、今の段階ではこれ以上治療をすることがないので(最長2週間入院申し込みをした)、明日退院することになった。後はまた金曜日の外来で済ませる。今週は月曜日に加えて金曜日に2回目の投与を行う。ただし、オキサリプラチンは使わず 5FU だけである。今度の治療は4週間で1クール。3週点滴1週休薬。3週のうち1、3週にオキサリプラチンを使用する。

先生とも話したが、病院にいると何かの時に対応してくれ、色々相談できとても安心である。が、逆に病院にいるとますます病人になってしまう人も多いらしい。またやはり1週間以上入院すると相当体力が落ちる。長期戦なので、出来る限り生活のペースを守りながら(無理しない程度に、自分の場合ここが重要)、外来で治療することにした。

前回の薬の時には症状はでなかったが、今回は必ず手足にしびれがくるそうだ。ただしもっと何ヶ月たった先の話。逆に薬の投与量はそれで制限されている。また、多分髪の毛は抜けないだろうということであった。実際今少しだけ黒い毛も見え始めている。夏にはまた復活してるかもね。

2008年5月12日月曜日

新しいお客さま

月曜日: いよいよ今日から新しい化学療法.昨日はお腹が我侭を言うことはなく(へそも),大人しくしてくれたので,途中何度か目覚めたが,ゆっくりと休めた.ただ今は寝返りをうつと,角度によって胃や腸を圧迫し,不快感や痛みを催してくる.体もようやくそれを覚え:苦笑,一定の姿勢で寝れるようになった.もちろん今度は体が痛くなるのだけど.

今回もこれまでと同様に2つの薬を同時に使用する.オキサリプラチン(化学名,製品名は異なる)と一緒に TS-1 と同じ5FU系の薬を使用する.それともう一種類葉酸も入れるとのことだった.時間にして5時間から6時間.今までより1.5倍くらい長い.

朝食事を終えてくつろいでいると:笑,若い(イケメン風)の担当医が部屋にこられて,外来の前に点滴のラインをセットされた.当初の開始予定時間がもう少し後だったので,心の準備ができてなかった(あまりしてもしょうがない?).

最初の TS-1 とシスプラチンのときは,初めての抗がん治療ということもあったのかもしれないが,先入観として嘔吐や気分が悪くなるものと信じていて:苦笑,治療後2,3日は実際に強烈に気分が悪かった.その後は,慣れてきたというか,嘔吐,気分の悪さについては,あまり気にならないタイプということが分かってきた.

もちろん,今回は薬が変わったので,これまでのことはあてにならないが,少なくとも特に構えることなく,治療をはじめた.さすがにオキサリプラチンを投与するときはちょっと緊張して,ゆっくりと体を休めたのだけれど,そのまますやすや寝てしまった:笑.途中,ベッドの中で何度か悪寒したくらい.

さて,治療が終わり冷たい飲み物を飲もうとしたら,突然喉の奥に詰まった感じがした.何か混ざってたのかと思い調べたが何もない.何度か同じものを繰り返しているうちに,口に含んだ瞬間,口の中にしびれが少し走った.

更に,お手洗いのあと手を洗浄していると,洗浄後に急速に手が冷やされていく感じがした.そうだこれについては,主治医の先生が,冷たいものを飲めなくなる,とおっしゃってたのを思い出した.またそういう記事を読んだこともある.ビールは飲めません.冷たいものに反応します.もっと後から来ると思っていたのに,

まあこれは,暖かい飲み物を飲み,お湯で手を洗えばいいことなので,さほど心配はしていないが,それにしてもビックリした.まだまだ新しいお客さんが来るのだろうか.とりあえず,火曜日の退院は延ばしてもらうことにして,もう一日様子を見ることに,顔張ります.

2008年5月11日日曜日

へそ

日曜日: 今日は安息日の予定だったが、深夜突然おへそが痛くなり、思わずナースコールをしようかと思った。寝ぼけていたので、そのまままた眠ってしまったのだが、なんか本当に非常に鋭い痛みだった。(おへそが痛くなることがあるなんて知らなかった。)

朝目覚めた時には収まっていたが、心配なので看護師さんに報告。しばらくして若い方の先生が覗きにきて下さった(休日なのに)。おへそというのは腸に異常があったときに場所に関係なく真っ先に反応することがあるそうだ。

例えば盲腸のときも、最初にへそが痛くなるとのこと。今回は昨日の腹水検査の針で腸管を傷つけたのかも、と心配のようだったが、そこまで詳しいことはわからない。また酷く痛くなるようだったら、レントゲンを撮って調べることに。

今回の入院では、最初から、お腹の重たさや、時々痛むこと、張っていること、おへそ、など、その都度いろいろ主治医の先生に伝えてあるので、毎日毎日入ってくるどの看護師さんも、お腹大丈夫ですか?異常ないですか?と聞いてくれる。

残念なことに?まだどうしようもなう酷い状態のときはないので、お世話になっていない(これはこれで結構!)。この病棟でも複数の看護師さん達がチームを組んで、順繰りに自分の担当になっているが、きっとその際の申し送り事項に、お腹の具合要チェック、とのことが書いてあるのだろう。(こういう時は病院にいると安心)

今日は、朝から6月からの予定している授業の講義ノートを作り始めた。今迄5年以上ずっとさぼっており、古い講義ノート、資料の状態のまま、何の修正、改善もせずに毎年その場しのぎで、板書で補いながらこなしてきた。それをたいそう反省して:苦笑、時間のあるときにやっておこうと思った次第。まあまあ自己満足な出来。

夕刻、助教さんが訪ねてくれた。少なくとも来週は(場合によっては再来週も。どうせ出張の予定だった)お休みするので、授業や研究室、再来週の出張に関する不在中の段取りを打ち合わせた。ほんとうに黙々とこなしてくれており、ただただ感謝。なんとかして、来年の彼の就職先を見つけなくては。

いよいよ明日から化学療法。不安もあるが、今は本当に楽しみにしている。副作用も気になるが、なんとか乗り切って、明日も bog をアップする!(予定ね:笑)

2008年5月10日土曜日

腹水検査

土曜日: 昨日の先生方とのミーティングで腹水の話となり、急遽腹水を抜いて調べることになった。そもそも今回の入院となったのは、また少し腹水が出ていること+全体に2月から状況が変わっていないので、効果の薄れて来た今の薬を止めて新しい薬を使用するためだ。

一方で、ここ2、3日のお腹の張り具合も体感として気になっていたので、腹水の様子も調べてみることになった。つまりこの腹水にがん細胞が混ざっている可能性が高く、そうであれば、胃壁から湿潤したガンによるものとわかる。

水抜きといっても、腹水を全部抜く訳ではなく、検査用30ccだけ。どうやって抜くのか興味津々だったが、基本的には超音波エコーを使って腹水を抜く針を刺せる場所を探し、適当な場所が決まったら、麻酔注射をして、針を入れて水を抜く。

病院内の別の場所にこちらが出向いて、専門の医師にやってもらうのかとばかり思っていたが、午前中に、そろそろ始めますね、と二人の入院担当の先生方が入って来た。やおら白衣を脱いで、ネクタイ姿になり、ワイシャツの腕をめくって...オイオイ何をはじめるんじゃい、って感じ。

より若い先生が作業担当。まず消毒にお腹にイソジンを塗りまくる(本当にイソジン。色もあの色)。その後で麻酔注射。皮下脂肪が厚いためか?一回の麻酔量では足らず、もう一本注射をした。歯医者と一緒で、最初の一瞬だけが痛く、後は順調に進むはずだったが、まだ効いてないところがあったのか、水を抜く針を入れる際に、思わずイテてイテてと叫んでしまった:笑。

そうなると、もう恐怖心で一杯になり、看護師さんが、大丈夫ですか?そんな顔しなくても大丈夫ですよ、と笑いかけてくれた。実際は2度目の麻酔以降は全然痛くなかったのだが、顔はひきつっていたようだ。

というわけで、今日のは腹水作業でしたので、抗がん治療は来週頭からになった。午後、入院の治療計画書にサインした。なんと治療計画では火曜日退院になっている。早っ!火曜日の時点で副作用が顕著でなければ御引き取り下さい、ってことか?

家内は、変な副作用が怖いので(というより、そうなればとても面倒見切れないので)、1週間でも2週間でも入院しろ、と主張している。自分も1週間は覚悟していたのでちょっと拍子抜け。担当の先生によると、居たかったら部屋自体は大丈夫とのことだった。

今日の午後3時頃から、外来の主治医の先生と今後の方針の詳細について、家内と伺った。結構なプランができあがっていた。いずれにせよ、月曜からまた未知との遭遇。明日の日曜日は安息日、自宅には戻らず病院で過ごす。

2008年5月9日金曜日

入院初日

金曜日: 昨日は、一時お腹が非常に張って、凄く不快&不安になったが、昨夜から今朝にかけてそれは解消。だいたい病院に行く日、自覚症状が軽くなる(ような気がするだけ?)のはいつものことである:苦笑。さあ今日から4度目の入院。

中国国家主席来日による交通規制があるということだったので、ちょっと早めに家を出た。ナビがさかんに渋滞があると言うし、実際多くのパトカーや検問があったが、非常にスムースに車は流れ、予定受付一時間前には病院に到着。部屋にも余裕をもって入れ、そのままお決まりの、心電図、X 線、血液検査を済ます。

いつもは、入院時の主治医の先生とお会いするのは夕方になるのだが、今日は昼前にはお会いできた。今回の治療計画について、いつもの外来の先生を含めて打ち合せをするのは、多分夜7時以降になります、と言われた。外来治療が金曜日であり、クール中の投薬のインタバルを固定したいので、できれば明日から抗がん治療をしたいとのことであった。

昼食後早速、金曜日の教授回診があった。例の前首相の主治医である。以前も受けたが、本当に神の指といった感じで柔らかく問診しながら触診が進む。CT などなく、指だけが頼りだった時代の手つきである。昨日からのお腹の張り具合を指摘され、後首の辺りが気になるなあと言って去られた。その後、お弟子さんによりもう一度首のチェックがあり、教授は何を感じたみたいですが、大丈夫ですから、と言って終わった。

この大名行列は特に主治医が行うわけでないので、多分患者には余りメリットはない。教授の先生による一人一人の患者チェックを通じて、大学病院として若い先生方の教育を兼ねてるのであろう。(ちなみに入院の主治医と外来の主治医は異なり、入院の主治医は若手2人組)

さて、結局夜8時前にいつもの先生とやっと治療方針について話すことができた。家内がいないことを気になさっていたが、そこは旦那に全権委任。細かいことはまた別途記すことにして、とりあえず「オキサリプラチン」というのが新しい治療薬の名前である。米国ではシスプラチンと同等かそれ以上との実績があるそうだ。これと TS-1 系の薬(飲み薬ではなく点滴)を併用する。1回6時間程の点滴を今度は3週続けて1週休みとなる。明日は腹水のチェックもすることになったので、治療スタートは場合によっては月曜。

いずれにせよ、お腹の張りの「根源」が、今回の治療で縮小されて行くことを祈るのみ。

2008年5月8日木曜日

明日から入院(4回目!)

木曜日: 今日夕方ようやく病院から部屋が空いたとの電話が来た。午前中あまり連絡がないのでしびれをきらした家内が、病院に電話をかけたところ、全然退院患者がいないので空かない、とのつれない返事がきた。せっかちな彼女は、ならば主治医の先生に電話をかけてプッシュしてもらおう、と思ったらしい。

主治医の先生の携帯電話は、新年冬休みの際に何かあったときにと、個人的に我々に教えてくれたものだ。それを思い出した家内は、心配でたまらない妻役を演じるから携帯番号を教えて、とメイルしてきた。(妻役ではないと思うけど:苦笑、確かにそれほどは心配していないようだが!)

ちょうど今日は午前は授業で午後からは2件来客があったので、携帯番号だけを伝えて後はまかせた。結果、いつもの病棟の部屋がなかなか空かないのであれば、他の部屋(例の高級なところ)でもいいから次ぎ空いたら入れるように、との依頼を入れて下さったようだ。その結果、新棟の9階の個室に決まった。(もつべきものはホットラインか。同じ大学のよしみか。)

このところ、自分が妙に不安がっているのを家内も気づいていて、単刀直入に主治医の先生に、どうですか、と聞いたそうだ。(亭主のいないところで、直接話し合いがもたれた:苦笑)一応電話では、ここだけの話ですが...的なことはなく、薬を変えるので入院していただくだけで、あまり心配しないよう励ましてあげて下さい...で終わったとのこと。

ともあれ、今はちょっと安心。お腹の方は膨満感があり今ひとつすっきりしないが、明日からは隣に医者がいるのでもっと安心だ。今日無事授業を消化でき、来週の授業のやりくりも終わった(複数担当者はありがたい)。当初から再来週は東北出張の予定(もちろんキャンセル)だったので、ほぼ2週間は丸々休養できる(入院は1週間弱の予定)。ここらでうまく仕切りなおしとしたい。顔張る!

2008年5月7日水曜日

不安には茸

水曜日: あーあ連休が終わった、と思うのは僕だけではないだろうけれども、あっと言う間だった。この間ゆっくり休めたけれども、同時に次からの治療への不安との戦いでもあった。

治療への不安というのはちょっと違うかも知れない。治療へは期待だね、やっぱし。何が不安かと言えば、前回の治療から明日で3週間になるので、ちょっと化学療法の期間が開いていることへの不安だ。

今日水曜日の時点でまだ病院から電話が来ない、となれば明日木曜日からの入院はない。早くて金曜日だとしても、土日は殆ど治療が行われないので、来週からということになる。その間にも、悪い細胞は増殖しているのか、とつい考えてしまうのだ。

更には、先日の検査結果以来、体の変化にすごくナーバスになっており、ちょっとした痛みが明日には更に酷くなるのでは、とすごく気になる。特に凄い痛みを我慢しながら日々を過ごしているなんてことはないんだけどね。(今日もごく普通に大学に行きました。午前中だけ。)

こうなるとさすがに結構メゲてきて、お昼には大学から戻って少し休んでいた時に、凄く悲しくなってきた。少しまた下痢気味で、お腹の中を縦横無尽にガスが走り回ったからだ。

しばらくして、阿呆らしくなってきて、開き直って立ち上がるのが自分のいいところで:笑、布団から抜け出して、気持ちで負けたらあかん、と顔張って行動する。ちょっと考えて、実姉が送ってくれた、怪しげな茸のスープを飲むことにした。

アガリクスというガンに効能のある茸よりも、3倍効能があると宣伝されているものだ。科学万能主義が優先的な自分は、親から薦められているタヒボ茶を飲んでいるので、そんなに幾つもこの手のものを服用しても仕方ない、と放っておいた。

が、もうそろそろ本当に何でもあり、になってきたので、気分転換というか気休めに飲んだ。うん、全然まずくなく、すっきりお腹に入った。Web によれば、どこかの医学博士の方が、最初の数杯は効くでしょうね、そうそう飲んでも効果のあるものでもない、とか書いてあった。(いやいや効くのは、次の治療まででいいんだ!)

実はこの茸のスープ、色々エピソードがあり。弱っている犬(やはりガン)に飲ませたら、寝たきりだったのが,急に散歩できるようになった、との話を家内が隣の家の奥様から聞いて来た。web をみると、確かにこの茸は、犬用のスープとしてもしっかり売られて、実際にそれなりの効果があるということだ(読者からの感想欄に一杯書いてあった:笑)。この茸は、タモギ茸といいます、興味がある方はお調べあれ。

という風に、1日が過ぎて行った。病院から電話は来ず。明日も悶々と過ごすのかなあ:苦笑。

2008年5月6日火曜日

連休最終日 - 初心 revisited

火曜日: 今日で連休は終わり。義父の見舞い以外は本当に何もしなくなりそうだったので、一念発起して論文の査読を行った。いったいどのような経路で、Sound and Vibration のような専門誌が自分に依頼してくるのかとても不思議。これって例えは悪いけど、機械学会が、自分にギターの鳴り心地について原稿を書いてくれ、とか言ってるようなもの:笑。

確かに内容の一部については、それが主旨ではなかったのだが、昨年米国の(違う分野のしかもマイナーな)雑誌に掲載はされた。もし、それを editor あるいは周辺の人が読んでいたとして今回の依頼ならば、恐るべし。まあ何かの偶然だろうね。普通は専門じゃない場合は丁寧に辞退するのが筋であるが、つい悪い癖で!引き受けてしまった。(他人の論文を読むのは面白いし、その頃は療養中で時間がたっぷりあった。)

数学の強いインドからの投稿で、論文にはずーっと小難しい数式が並んでいて、引き受けたものの中々読む気にはなれなかった。でも今日は、やっぱ一つずつ困難に向かわなきゃ:苦笑、と気持ちを新たにして try した。で、読んでみると意外に簡単&抜けが多く、残念ながらどうみても却下。英語で reject の理由を書き上げて web から結果を submit. 最近は web による論文投稿のインフラが完備していてて、とても便利。(今日は結局もう一編仕上げた。まだ後2編あるけど:笑)

と、外を見ると、見事な晴天。今日も大人しくしている予定だったが、雲一つない真っ青(ちょっとくすんでて、富士山は見えず)を見ていると、うずうずしてきて、久々の散歩。そういえば、家でふらふらになりながら療養していた頃は、頑張ってこうして散歩にでかけていたなあ、と思い出した。うん、また振り出し?近くまで戻ったかも知れないけど、あの頃よりはましな筈だ!と言い聞かせる。

いつもの公園にでかけると、子供たちはあまりおらず、老人によるゲートボールが行われていた。それを横目で見ながら丘を登る。枯れた1月にも、桜の3月にも写真をとったが、この5月はうるさいくらいに緑がきれいでパシャリ。もう一枚の写真に写っている、丘のてっぺんのこの木まで来て、深呼吸をしていたなあ。今日もひと呼吸ふた呼吸。

今日は結局病院から電話がなかったので、入院は木曜日以降。また授業のやりくりが大変だ。トホホ。

2008年5月5日月曜日

連休3日目 - 気分転換

月曜日: 久しぶりにぐっすり眠れた。体調も穏やかで、せっかくの休みだからどこかに出かけようかとも思ったが、ここは自重した。連休明けに予定されている入院に備えて?体力を温存する。にしてもよく眠れる:笑。この連休中は、溜まっている幾つかの仕事を片付けるつもりでいたが(子供の宿題と同じ?)、いつも計画倒れ:苦笑。

明日出来ることは今日するな、が(以前にも書いたような気がするけど)モットーなので、やろうと思うこと自体が間違っているのだけど、明日明日明日明日と延ばし続けるとさすがに焦るというか:苦笑。ちょうど GW 前に欲しい洋書が数点あったので、米 amazon に order したら、あっと言う間に連休初日に届いた。これが予定外だった!

洋専門書なので、普段は大学でしか開かないのだが、どういうわけか無性に(無闇に?)読みたくなって、連休の間中、起きてるときは勿論、布団に入るときも、トイレにいるときも、常に持ち歩いてページをめくっている(お風呂にはもっていってない!)。今 Motivation の一つに、専門書や教科書を書くことがあり、きっとモヤモヤ感を振り払いたかったのだ。

この間の検査結果を聞いてから昨夜迄の間に、友人を含め何人かの方と電話で直接話しをした(もちろんメイルもいただいた:謝謝)。自分の携帯電話は殆ど「形骸」電話と化しており(メイルには使うが)、普通はかかってくることもなければかこちらからかけることもない。が、やはりどこか話すことで気分を紛らわしたい思いがあったのだろう。何か言葉をかけてもらいたかったのかも知れない。

また、こんなときに限り、外国の複数の友人から「どやねん調子は?」とメイルが来る。今の状況を英語にするのは結構大変なので(ボキャブラリーの問題)、最小限にとどめて「なんとか普通に暮らしてるけど、まだまだ時間がかかりそうやわ」と答える。どのメイルも最後は「ヴェニスには来るんやろ?」で終わる。今はちょっと(かなり?)弱気で could be としか答えられない、ちょっと寂しい。

色々気をかけてくれるすべての方々に感謝。気が晴れて、読書も進んだし、音楽もゆっくり聞けた。明日も同じように過ごす予定。

2008年5月4日日曜日

連休2日目 - 生命力

日曜日: 明け方、お腹が重苦しくて目覚めた。半年前に入院したときにも経験したが、腹水?のせいか、寝返りを打ったときに(姿勢を変えたときに)お腹が圧迫される感じ。当時先生に相談すると、そんなことはありません、と一笑されたのを思い出す。あの頃は、なるべく寝返りをしないように、とか、起き上がるときはそーっと、とかなり care をしていた。年が明けたくらいから、殆ど気にならなくなっていたので、またちょっと不安がのぞいた。

幸い起きてからはあまり違和感はなく、いつものと同じ調子で、午前中はたっぷり休み、午後から義父のお見舞いにでかけた。一時は最も重い患者を治療する第1 ICU に居たのだが、集中治療の甲斐あって第2 ICU に部屋が移っていた。肺炎の方も収まりつつあり、GW が終わるころから自呼吸できるようにリハビリを始めるそうだ。意識も戻り(眠らされていた)、顔色も良く、筆談で会話をした。

いや、感激した。義父が危篤(に近い状態)から回復するのは、もう何度目だろう。覚悟するように家族に伝えられる度に、その逆境を乗り越えて復活される。もちろん退院等の話はまだまだ先の話だが、きっと回復する。こちらは、全然病気に見えないねえ、と皆からからかわれ、いやいやまた入院です、と状況を話す。とにかく気持ちで負けたら駄目よ、と義母からも念をおされた。

再再再入院(というか、薬の再変更)という事実に、わかってはいてもさすがに少し落ち込み気味だったが、今日のお見舞いで俄然パワーが戻ってきた。まあ行けるとこまで、とことんしつこく行こうと思う。今朝方の夢の中に、自分の父親が出てきて、お腹減った、とかわけのわからんことを言っていたが:苦笑、まだまだしばらくは、向こうで大人しくしてもらおう。

今日は、衣替え?をして、新しい帽子(ゴルフ用かな)に、薄手の水色のトレーナを着ていったが、義弟に評判がよく、ちょっと嬉しかった。家内と並んだ写真をとってくれた。そういえば入院してからは2ショットがなかったっけ。帽子だけでなく、スキンヘッドでも1枚お願いした。結構いけてる。力を一杯貰った一日だった。

2008年5月3日土曜日

連休初日

土曜日: 4連休が始まった。この4日間は特に予定なく、家でゆっくり過ごす予定。昨日は気が張っていたのだろう。やっぱりかなり疲れたようで、今日はもう朝から夕方までひたすら寝ていた。特に体がだるい(しんどい)わけではなく、ただ眠りたいって感じ。布団の中は暖かく快適でぐっすり眠れた。

というわけで、今日は特別なアクションは何もなく、新聞を読んで、メイルや web をチェックしたくらい。

新聞で現役復帰したテニスの伊達選手の活躍が報じられていた。今日も単複勝ち、あっと言う間に明日は決勝だそうだ。もともと復帰した理由が、若手に刺激を与えるため、だそうだが、それにしても凄いなあ。もともと地力、実力はあるとはいえ、やはり基礎体力が落ちているだろうから。(それにしてもスリムで格好いい!)

試合も、楽勝ばかりではなく、予選から結構競っている。競ったゲームをすべてとっているところが、年齢を重ね試合運びがうまくなっているということか。卓球でも斉藤清選手が復帰していきなり日本選手権をとったことがあったが、あの時もすっかり体型の変わった斉藤選手が、スリムな現役選手(岩崎選手)を翻弄したのに驚いた。

卓球とテニスを比べると、卓球の方が物理的な移動距離が少ないため、よりインサイドワークが活かせ、年齢なりの卓球の仕方があり、年齢を重ねても強い人は強い(往年の名選手であった長谷川信彦選手などは50過ぎても1試合だけなら日本チャンピオンに勝っていた)。一方テニスはコートが広いので、高齢者にはきついだろうなあ、と思ってしまう(素人考えですが)。

ところで、伊達選手や斉藤選手と対戦した若手現役選手は,プレッシャーがキツかっただろう。もうすでに功をなし終え、OB から現役に復帰した選手には特に失うものはなく、より精神的に優位に立てる気がする。一方の若手は、負けられない、負けてられない、との意識も生じるだろうし、何より周りの目も集まり、やりにくい相手であることは間違いない。

男子テニスは最近新しいスター選手が登場したが、確かに若手女子選手の活躍を聞かなくなって久しいね。そういう意味では、やはり若手への厳しい登竜門になるのだろう。明日の決勝が楽しみだ(もうすでに相手は外国選手のようですが!)。

心に余裕をもって過ごすこと、これが大切。今日はまあまあだったかな。

2008年5月2日金曜日

3歩進んで2歩下がる - 再再々入院へ

金曜日: GW 本番前に病院を済ませておこうと人が多いのか、今日は一昨日とちがって病院は満員。午後の外来診療は普通7、8名足らずだが、今日は倍近く待っているいた人がいた上に、予約外の飛び込みの方も数人いた。10時半に受付した診察が始まったのは2時過ぎ。

今日は一昨日の内視鏡と CT の結果。内視鏡については、その場に主治医の先生もいらして、結果はすでに聞いている。今日は家内とより詳しく説明を伺う。改めて写真を見たが、確かに前回からは殆ど様子が変わっていない。

最初に比べると格段に違うが、前回2月からは縮小しているようには見えない。がん細胞が壁に吸収されるように成長していくタイプなので、化学療法では完全にとれる方が少ない、今後は如何にうまくつきあっていくか、になるでしょうね、と言われた。このあたりは断片的にこれまでも聞いているので了解はしている。

2ヶ月でこの程度の変化しかない、ということはそんなに珍しいことでもないようだ。が、次の CT の画像をご覧になられて様子が変わった。肺や肝臓等に転移はないが、わずかながらまた腹水が出ていた、どうもこれは、例の胃と腸の結合部にあったガンが悪さしている(腹膜に広がろうとしている)ようだ。

この時点で、ドセタキサンとイリノテカンの組み合わせが実は思った程効いておらず、最初の TS1+シスプラチンがかなりの効果をあげていた、ということがわかった。確かにこの2ヶ月ほど、いやに体力体調が回復し元気過ぎたけれども:苦笑、副作用が少ない=ガンにも優しい、ということだったのだろう。

そこで急遽方針変更。このまま今の薬を継続してもむなしい結果が出るので、薬を当初のシスプラチン系に変えることになった。ただしシスプラチン自体は、腎機能に悪さをするので、自分には使えず別の薬(日本では売られていない、米国製の)を試すことになる。ここから先はまだ日本では Evidence がなく未知との遭遇である。

治療方針としては、これまでと変わらず週に1度の外来治療をベースとするが、最初だけは、これまでと同様色々検査(副作用等)のために、3、4日また入院が必要。というわけで GW 直ぐに入院するよう手続きをした。ただ学期間でもあるので、授業等で外出は自由にしてよい!とのこと。(でないとこちらも困る。)

やっぱりこの所の不安感は的中した:苦笑。でもわかってすっきりした。いかにうまくガンの成長をコントロールするか、というが人生の鍵である。昨年10月から比べると3歩進んで2歩下がるって感じか。でもあの頃とは体調も違うし、気持ちの持ち様も違う。

明るい GW がちょっと暗くなったが、まあしょうがない。明日からの4日間はゆっくり過ごして、また少し計画を変更だ!新たな副作用を考えるとちょっとメゲるが、落ち込む暇などない、また顔張る。

2008年5月1日木曜日

満足

木曜日: 昨日から今日にかけて、義父の容態がぐっと改善した!肺炎で真っ白だった肺が日に日に回復し、うまく行けば ICU から普通病棟に移れるかもしれないそうだ。素晴らしい! Good fight, Daddy.

昨夜は本当は Chick Corea と上原はるみの武道館でのピアノデュオに行く予定だったが、病院の予定が入ったのでやむなくキャンセル。というか、会社時代の友人にお譲りした。(こちらは CD と DVD で我慢!)夜中にお二人から、素晴らしかった、大満足、とのメイルをいただいた。(なんせこのデュオでは二人同時にソロをとるからね!)それはそれで良かった、嬉しい。今度は一緒にライブに行こうと約束した。

昨日友人がライブを楽しんでる頃、娘も息子もいないので、家内とこっそりお寿司を食べに行った:笑。今を逃すと、休薬期間が終わり明日から化学療法が始まるので、元気なうち(体も舌も)に出かけた次第。そこで、ちまたで噂の流れる寿司に行った。

これは常にコンベアの上に乗せられて回っている回転寿しとは異なり、On demand で(パネルから注文)寿司が握られ、コンベアの上を流れて来て、自動的に自分たちの席まで届けられる。席の近くまで来るとセンサーが働いて、コンベアから皿がはじかれて(正しい表現)、目の前まで皿がやって来るしくみ。

ギミックも中々のものだが、味もまあまあ満足。たまたま大手テレビ局のカメラが入っており、是非インタビューと映像をとらせてくれと頼まれたが、そこは固辞。雑談として、カウンターに座って寿司を親父に頼むのが苦手な人にはいいんじゃない、と話すと、今の一言を撮らせてくれ、とまた頼まれた。が、やっぱり固辞。

では、流れて来た寿司を取り上げるところだけ撮らせてくれ、というので、それは◯にすることにした。なので、某テレビ局で、回転寿しの特集があり、スキンヘッドのおやじが寿司を食べてたら、それは我々です:笑。

 

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