2007年11月30日金曜日

メディア

金曜日: 目は相変わらずしょぼしょぼするが,体調は今の自分にはいたって普通.結局昨日は雨が降らず,明け方頃少し地面を濡らした程度だった.雨が降れば庭の水撒きが不要なので,家内が喜ぶ.入院前は,あまり家にいなかったので,物理的に無理だったが,今なら手伝える.次の休薬期間に久しぶりにやってみようか.

今は24時間家にいるので,必ずしも全員は揃わないが,3食とも家族と食べる.もう20年以上暮らしていて初めて気づいたのだが,皆まず食卓につくとテレビを点けるのだ.もちろんまわりにも,そのような知り合いや友人がいるので不思議ではないのだけど,ちょっと驚いた.まあ家内が,食事の時にテレビを見ながら一家団欒していたというのは聞いていたので,きっと子供達もそうなんだろう.

自分の小さい頃は,そもそもテレビのないところで食事をしていたし,移動してテレビアニメを見ながら食事をさせてもらえるのは,本当に特別なときだけだったので,所謂テレビっ子ではない.ハリスの風も巨人の星も明日のジョー(古!)も皆少年マガジンで読んでいた:笑.なので,小学生の頃「昨日のテレビみたか」的な話題には,かろうじてついて行けた.テレビは見てないが,ストーリは知っているので,適当に合わせる.ときどきアニメと原作が違うときや,アニメの方が原作より先に進んでしまうことはあって苦労もしたが:笑.

といわけで,今もテレビはそれほど見ないのだが,工業製品のハイテク化には興味があるので,それなりの装置は家にはある:笑.また,自分にとってテレビは,音楽やスポーツのライブ中継や,まれに映画,特別番組を見るためだけにあるのだ.それでも入院してから,野球のクライマックスシリーズ,日本シリーズ,アジアシリーズ,サッカーの五輪予選,にアジアクラブチーム選手権,東京女子国際マラソン,千葉国際駅伝,男女バレーボールワールドカップ.女子フィギィアの GP シリーズ,など,(全時間ではないけど)殆ど見ているね:爆.これも休職中の特権?

視聴率重視で構成されているいろんな局のスポーツ中継に辟易とすることもあるけれど,まあ平均的には楽しんでいるかな.それにしても,テレビを含めたいろんなメディアの流す報道が我々に与える影響は非常に大きい.今日たまたま同じ日に謝罪会見した,横綱や若気の至り丸出しの弟ボクサーなんかも,それぞれ過程は全く違うが,メディアによってより悪い方悪い方に追いやられ,利用されている気がする.(それにしてもあの兄弟は言葉遣いで損してるね.マジにできないのか,メディアの先導なのか)

病気になって初めて,ガンという病気が,それこそ毎日のように何かのメディアで取り上げられていることに気づいた.朝日新聞ではいろんな患者さんの治療や生き方が連載されてるし,何週間か前には,それこそうちの大学病院の外科教室の教授(王選手の主治医の先生)がインタビューに答える形で,胃がんの治療に関する,全面広告が出ていた.その他,テレビ,週刊誌,映画...いやはや.今までは当事者意識がなかったから気づかなかっただけよ,と家内は言う.

で,読まない訳ではないのだけど,正ならいいけど負のスパイラルに落ちると嫌なので,読むとしても斜め読みだ.そんな中,直接はガン治療には関係ないと思うが(ガンの遺伝子を持っているという意味では関係あるのだが:笑),日本で世界初の「万能細胞」を作ることに成功したニュースはちょっと心にしみた.(自分より若い先生で,皮膚科の先生であることにも驚いた.)

今晩はミキティが出るらしく,娘と一緒にフィギアを見ることになっている:笑.

2007年11月29日木曜日

休職

木曜日: 今日も曇り.雨になると新聞に書いてあったが,ずっと曇り.曇り空の中少しだけ散歩に出かけた.第2クールに入ってから天候が悪くなった.なんかこちらの気分にもシンクロしている感じだ.このところ重々しいことばかり書いた気がするので,今日は気をつけよう.

昨日の教授会で年度末まで約半年間の休職が認められたそうだ.終わりの時期ははっきりいって誰も分からない.主治医の先生によれば,薬と体の相性によって,薬の効く人にはあっと言う間に腫瘍がなくなる場合があるし,効かない人には長期戦が強いられる.なので半年と言うのは,先生のこれまでの経験から来るものなのか,切りよく年度末にしたのか,適当に書いたのか,全く不明.3月31日までというのは,個人的にはちょうど良い頃かなと思う.すべてがリセットできて4月1日からスタート.これが今の目標.

ところで,教授会では休職とでたが(これは慣例的にそう報告),実際は病気療養のため「休職」ではなく「欠勤」扱いが,規約に基づいた書類上の処理となる.実際に提出したのも欠勤届けである.両者がどう違うかと言えば,長期の病気療養の場合はまず欠勤扱いとなり,勤続年数により有給となる期間が決まる.自分は10年選手なので,その場合20ヶ月までは療養できるそうだ.(給料は本給+家族補助,住宅補助だけになり,それ以外の手当はなし)

で,上記欠勤による有給期間を超えて,更に療養が必要な場合は上から「休職」を命じられる.この時休職できる期間は更に20ヶ月で,この場合もおよそ有給が認められるみたいだ.そうでなければ家族が食べて行けないし,治療費も馬鹿にならないからね.ということは計40ヶ月(3年4ヶ月)は療養できるってことか.こんなに休めるものなのか,と驚いている.他の大学もそうなのかなあ.数字自体にはあまり実感がわかないが,このような大学のバックアップがあるのは安心できる.でも,まあ取りあえずは,4月1日のリスタートが目標だ.(また同じことを書いてる:老人力だね)

老人力と言えば,夜寝のときに必ず小便のために一度目が覚めるようになった:笑.痛みで目が覚めることはなくなったので,それは嬉しいのだけど.というのも第1クールで腎機能が落ちたため,意識して水分をとってるからだ.日頃からそんなに水をとる方ではなかったが,入院時は胃の調子も悪く1日1リットルもとれなかった.で,看護師長さんや栄養士さんにこの点を強く叱られて退院した.ポカリスウェットのお湯割り作戦に変えて,今は1日1.5リットルは飲めるようになった.たかが飲むだけが結構難しいのだ.目標は第2クール修了までに2リットルにすること.

入院時に遡って欠勤にしたため,やはり遡っていろんな申請書の書き直しが必要で,秘書さんが大変らしい(御免).何せ休職中は大学にはいてはいけないそうだから.この件で,昨日今日色んな方から連絡をいただき,改めて大学のシステムはよく考えられていると思った.何でもさささっと規約が出て来るのだけど,頭ごなしに適用というよりは(そうかも知れないけど),皆で頭をひねって,最適解をいただいている気がする.これはウチの大学のいいところかな.

来週から国際会議が始まり,うちの修士学生も参加する.この2,3日は彼らのプレゼン資料の作成や解析の相談に大わらわだった.学生は夜型,こちらは朝型(というか朝のみ)で,うまくかみあって何とか間に合いそうだ.来週は点滴再入院の予定なので,ベッドの中からエールを送ることになるだろう.頑張れ.

2007年11月28日水曜日

楽観主義

水曜日: そろそろ薬の効果が蓄積されてきたのか,副作用の方もちらほら感じるようになってきた.肌がややカサカサになり,接触部が痒くなったり,頭が痛くなったり,でもその程度だ.気分が悪くて寝込むことはない.1回目の経験から吐くことはないとわかっているし,食欲も左程減退していない(でも体重はどうしても減って行くね).また集中力の持続しないので,朝寝,昼寝,夜寝の時間が早めになり,その分良く寝ている.TS-1 に体が慣れて来たのか,それが良いのか悪いのかはわからない.

あなたは Optimist か Pessimist かと問われれば,究極の選択をせまられると Optimist かなと思う.「最後はなるようになるさ,喜楽に行こう」派なのだろう.でもそこに至るのは随分ぎりぎりの時点で,実際仕事や学生の指導の時には,常に最悪のパターンを考えて(特に悲観というわけではないが),その上で作戦を考えて,最終的に「Take it easy.」となる.ここまで来ると,「何とかなる」レベルが結構落ちているので,おおよそすべての結果はオーライである:笑.

ここ一番の団体戦ラストでの試合や,人前でプレゼン(国際学会発表,ギター,歌:笑)など緊張するときは,自分が出来ないことはしない(無理なことはしない),自分ができることだけを誠実にやる,と言い聞かせた上で「なるようになる」と開き直る.結局はどれだけ,意識しててもしてなくても,自信があるのか,ということだと思う.だから自信のないことに対しては,もう凄く悲観的になり,その分早め早めに準備することになる.とまあ,別に特別なことでも何でもない話だが,これでずーっとやってきて,いろんなイベントに対するスケジューリングや危機管理能力は高まった気がする.

ところで,この病気は,結果およびそこに至るプロセスに対して医者の方も含めて誰も確固たる「自信」を持てない点で非常に特殊だ.また最悪のパターンを考える(時々は考えるけどね)ことは精神上よろしくなく,そうそう凹んでもいられない.患者も医者も,できる限りのベストを尽くしたという自信をもって臨めるならば、後は positive な意味で「なるようにしかならない」と結果を受け止めれるのかと思う.主治医の方は治療にベストを尽くしていただき,こちらは治癒にベストを尽くす.

息子に「誰にも経験できることではないことを経験してんだから,ありがたく思わなきゃ」と軽口をたたかれ,第1クール後の細くなった記念?写真を見ていたら,娘から「おお遺影か」とからかわれ,きっと(多分ね)二人とも「治る」と信じてくれている,あるいは「治らない」なんて思ってもいないわけで,それがまた自分に力を与えてくれることになる.この Critical な病気には,間違いなく,周りからの encourage が大きな活力になる.本当に感謝でいっぱいであり,逆に復帰できたなら,自分がお返ししなきゃと思う.

来週から始まる京都の国際会議に参加する UCLA の友人が,移動の合間に横浜に寄る,とメイルをくれた.もう嬉しくて泣けてくる.また 2008 年度に ECN の修士学生に続いて,MIT の博士学生やが,自分の専門分野(計算力学)を学びに日本に来たいとメイルをくれた.来年のことを語ると鬼が笑うかもしれないが,また今は大学を休んでいるので手続きが面倒かも知れないが,「何とかなるわいな」と受け入れることにした.good luck.

2007年11月27日火曜日

水紋

火曜日: 今日は曇りだ.極めて残念.太陽がくれるエネルギーは大きいと実感する.さて,昨日は副作用は少々の頭痛を感じた程度で収まり,2日目を迎えた.下痢については完璧に克服し,食欲も十分に戻ったが,これからまた腸壁が傷むかもしれず,ここは油断しないで,地道にいくことにする.正露丸はやっぱりいい.

といいつつ,昨日は息子が家におり自分以外の夕食はステーキだというので,少しだけご相伴に預かった.鶏肉以外の肉は久しぶりで,サイコロ状にカットされた肉をいただいた.何を心配しているかと言えば,胃の中にいれた瞬間に痛みが来ないかとか,やはり油はどうしても使うのでまた下痢しないか,とか.

結果的に問題なく,そのまま今日の昼食でも,昨夜の分の残りを食べることになった:笑.久しぶりに食べるお肉は美味しいね.塩でささっと焼いてポン酢で食べる.工夫を重ねて料理してくれる家内に本当にありがとう.これで思い残すことなく:苦笑,また魚と大豆の生活に戻れる?

ところで,少なくとも「痛み」に関しては,今のところ殆どなくなった感じだ.自分で驚くくらい続いているのブログ(遠い昔1日坊主であった)から,過去の痛みに関する記述を拾うと,

・時折,食べ物を飲み込んだとき,特に大きなものを飲み込んだとき,お茶や水で流し込んだときに,メカニカルに刺激するのか,この2,3日,鋭い辛い痛みが走るようになった.(10月27日)
・よっと体を起こす時,背中の痛みに加えてメカニカルにお腹の痛みも生じるので,この瞬間が病人みたいで(病人か!)情けなくなる.(10月23日)
・昨夜は鈍いような漠然とした痛みではなく,キュッとしまるような,感覚が鋭敏になっているような感じで目覚めた.痛いというよりは不快感.(10月20日)

1ヶ月前と比べると良い方向に向かっていることは実感する.加えて定常的な胃の重さや鋭い痛みも今はほとんどない.もちろん,違和感はまだ残っているし,体内の化学反応は鋭敏に感じる.もうかなり敏感に胃腸内の動きを把握でき,そろそろガスが胃に充満し患部を刺激するぞ,とか一気にお尻までガスが伝播し?,そのまま抜ける(おならではない,微妙に違う,臭いがない).などが分かるようになった:笑.

とはいうものの,余り浮かれないで,毎日,寝ぼけながらイメージを持って患部と対話をするようにしている.これまでのイメージは赤く燃えてたり,激しく振動していたりしたいた.今朝のイメージは,静かに水紋が広がる感じ.かなり大人しくなったかな.このまま良い子になって欲しいものだ.

2007年11月26日月曜日

第2クール突入


月曜日: 朝起きて早速,外の空気を吸いに外に出た.まだ夜明け前で薄暗い.寒さには強いので余り気にならない.ふと家の正面にまん丸の太陽が,と思ったけど,これは月だ.満月だったんだ.今日は満月を見ながら深呼吸をして(近くのおばさんが不思議そうにみてた.)部屋に戻った.

朝8時半 TS-1 を服用した.3カプセル.およそ12時間後夕食後にもう3カプセル服用する.今朝も起床後の体調は十分.目は相変わらずショボショボ涙目だけど.TS-1 は腸壁を壊す可能性があること,様子を見て適宜事前対応(下痢止めなど,僕は正露丸派;笑)するように伺っている.

今診てもらっている先生は,不要な薬は飲むな,タイプの先生で,腫瘍以外の病状には自分で考えて自分で対処しなさい,てな感じである(悪く言えば抗がん剤以外興味ない?苦笑).とても自分の性格にあっている.一応胃を守る薬他は貰っているが,自覚症状に応じて家内と相談しながら,服用している.

だいたい TS-1 を服用して2時間くらいで,(仕事等をしていると)頭が痛くなり,やや気分が悪くなることは分かっているので,その前に先手をうって寝ることにしている.今日は初日のせいか,午前中は床に入っても左程気分は悪くなかった.

治療を再開したので,昼食後散歩に行こうか迷った.寝て体力温存か,外に出てエネルギー(何の?)充填か悩んだが,やはり外に出ることにした.免疫力低下ももちろん気になるが,しっかり抗菌すれば大丈夫と,家内も賛成してくれた.なるべく人のいるところは避け,コンビニで用を済ます程度,坂はなるべく上り下りするよう心がけて20分程出かけた.

ところでうちの研究室のホームページが刷新されたようだ.以前はバリバリに Flash を使ったページで,担当者が卒業したら,殆ど誰も更新できなくなった:苦笑 ので,もっとシンプルで見やすいものに変えてもらった(まだ Flash は使ってるみたいだけど).とても良い(自己満足).

新しいページでは,特に people のところが気に入っている.先生以外は皆研究室 T シャツを着て笑っている.先日,今すぐ外出できるとしたら何処で何をしたいか,考えた.いろいろ願望はあるけど,今はやっぱり一番は大学に行って研究室のメンバーに会いたい.この第2クールが終わる年末には顔を出せるように頑張る.

2007年11月25日日曜日

第1クール終了

日曜日: 今日も晴天,体調はまずまず.昨日は朝寝ができず,ずっと起きて動いていたので,今日はやや疲労が貯まっている.身体全体というよりは,心なしか胃腸が元気のない感じ.動こうとすると,ちょっと待てって言われているような.明日からの化学療法に身体も緊張しているのかしらん.

昨日先生からは,年末はどこかに行かないのですか?,是非出かけた方が良いですよ,と言われた.普通は大阪の母のところに家族で帰っている(子供達は,お金をせびりにプラス年に1度のすき焼きを食べに帰りに:笑)が,今年は娘が受験のために,帰省する予定はなし.まあ年末,正月は家でのんびり(つまり今と一緒?)することになるだろう.

こちらの甘い?考えでは,2月にはだいたい目処をつけて,3月は(無茶苦茶酷い状況でさえなければ)ハワイの学会に参加しようと考えている.まあ実際は学会という名目で,ゆっくりと海辺で療養したいだけなんだけど:笑.と,横で家内が,このまま3クール,4クールいけばちょうどシスプラチンの日と重なる!と夢のないことを仰る.まあこの位余裕が出たということで.

ちょうど第2クール開始に併せて京都で国内学会が始まり,2週目の入院シスプラチン投与と同時に国際学会がこれも京都で始まる.どちらも研究室ではメインイベントだったので,不参加は非常に残念.もちろん,いずれも助教さん達や研究室のポスドクや院生が切り盛りしてくれるので心配していない.両学会の盛会を祈るとともに,研究室の皆の健闘を期待している.

明日から第2クールが始まる.だいたい第1クールで要領はつかんだので,今回は先手先手で対応できるような気がしている(いつも考えが甘いけど:笑).寝る時間が増えるが,それに備えていただいた(感謝!)本や DVD が積まれている.ともかく学生も先生抜きで頑張ってるので,こちらも前向きで頑張る.

2007年11月24日土曜日

第2クール前の外来診察

土曜日: 今日も体調はいい.一つ気になることがあるとすれば,今週くらいから目がやたらショボショボするようになった.初めはあまり気にならなかったが,最近は涙目でモニターを見て本を読んでいることもある.もしかして花粉症?うちの家族は,自分以外全員花粉症だが,ここ数年花粉が出始めた頃になると,鼻が反応するようにはなってた.先週くらいから家内が飛び始めている,と言ってたし,毎日樹木たっぷりの公園にいてるので,その可能性はあるね.まあ実害は今のところない.

今日は午後12時ぴったしから病院で外来検診.下痢にはあせったが,今日に備えて体調を整えて来た.特に前回の検査では腎機能が落ちているということで,食事内容には気をつけたし,水分をできるだけとるようにした.振り返ってみると,35才くらいまでは,卓球の試合前に怪我をして(足や腰や肩など色々),如何に試合の日までに治すかとか,コンサート当日や貴重な練習日の前に,喉が痛くなり,声がでなくなったときに,必死にのど飴やここ一番の抗生物質を投与して,なんとか急場をしのいだとことを思い出す.

予定どおり9時に出発し,高速も左程込まず10時前には到着.駐車場待ちをしている間に前回の反省を活かして,先に受付を済まして採血.土曜の朝はやはりすごく患者さんが多く,色んな方がいて思わず席を譲らなきゃ,とか考える.採血の流れはよく10時半過ぎには終了.お昼には早いし,どうしようかと家内相談し,この病院で最も新しい棟の最上階が眺めがよく,レストランもあるというので,見学に行くことにした.

写真はその新棟から見た,新宿の高層ビル群.いやあ奇麗だ.その反対側は新宿御苑?が見えるという話だ.最上階には,三田にあるキャンパス同様,高級シティホテル直営のレストランがある.いい値段だ.成る程,この新棟の個室は高い筈だ.ここに1ヶ月も入院すれば,ボーナスが丸々無くなるのもわかる.と早々と退散して,病院横のレストランでうどんをいただいて,診察室へ.

今日いつもの内科外来ではなく,普段我々が定期健康診断で胃カメラやバリウムを飲むところで特別診察.この病院の化学療法の責任者でもある先生から,採血の結果をうかがう.焦点は第2クールの治療をどうするか決めること.腎機能が落ちたままだったら,シスプラチンだけでなく別の薬(髪の毛が抜ける!)を使う予定だったが,幸い無事回復(やった!)していた.

ということで,第2クールも薬は変更なし,になった.ただし腎機能を落とさないように,シスプラチンの投与前後にたっぷりと水分を体内に流すことになり,12月の3日から2泊3日で再入院することにした.その方がこちらも安心だ.先生とは様子を全部話すことを約束しているので,ひどい下痢をしたこと,薬を飲まなかったこと,この1週間は調子がよかったこと,等を話し,先生からは,何故腎機能が落ちるか,下痢をするかの話をうかがった.やはり抗がん剤恐るべし,という印象だ.問診してる限り効果が出ていそうなので,第2クールの間に CT をとることにもなった(ドキドキ).

今日の予定外は,薬をもらうのに2時間まったこと.その間に,同僚からいただいた本を読み始める(陸上競技もの).目が疲れて来たところでようやく順番が来た.今日は夕方から研究室 OB の助教さん達が家に来るので慌てて家に戻り.1時間半ほどいろいろ打ち合せをした,1ヶ月ぶりの再会で話がはずむ.終わった頃にはどっと疲れが出て,そのまま2時間程寝た.いや,疲れたけど充実した日だった.明日は1クール目最終日休薬最後の日である.晴れるといいな.

2007年11月23日金曜日

食欲の秋(もう冬?)

金曜日(祝日): お腹は今日も順調だった.昨日は少し食べ過ぎ?(とはいっても知れている)たか,機能から少しずつまた普通食に戻しており,夕食の後の飽満感が中々抜けなかったので,ちょっとお通じ?が心配だったのだが,今朝も無事だった:笑.そろそろ終結宣言か.

休薬期間になって突然酷い下痢になり,食事がまた逆戻りし,かなり焦ったが,おもゆ,おかゆ,おじや(雑炊)とバージョンアップ:笑(おもゆは冗談)していってほぼ安定状態に.ここ2,3日のメニューは,まず朝はイギリスパン等の普通の食パンかロールパン.軽くトーストして食べる.バター等はなし.でも凄く美味しい.2枚食べれるが1枚にセーブ.副食はこれまでは卵とハム,ソーセージだったが,今は卵は午後に回して,はんぺんとか魚のすり身の入った団子や豆腐を食べる.後はみかん.

これまでは,入院中も前も,断然リンゴ派だったのだが,また下痢にはリンゴジュースがいいとか話にも聞くのでリンゴを喜んで食べてたが,あまり改善しなかった.実は病院の副作用マニュアルに,下し気味の時はリンゴよりみかんの方が良い,と書いてあったのを思い出して,みかんに変えたら調子が戻った.元々昔の粉末の頃からオレンジジュース派だったのだ.(凄いたわいもないことなのだけど,クリティカルな身体になると微妙なんだよね.)

昼はだいたい主食にうどん(もちろん関西風)か,おじやに生卵とお醤油をかけて食べている.副食はだいたい,昨日の夕食の余り物を少々.学生だったころは,ご飯に生卵をかけてよく食べていた.合宿なんかで「勝つために」と食欲のないところを胃の中にかっこんでいたのを思い出す.

夕食は,とりそぼろやサケの雑炊が主食.今は油気の多いものはなるべく避け,タンパク質は,大豆(豆腐ですね)かさかなで補い,時々チキンも食べている.同じく野菜も今は生でなくゆでて,ブロッコリ,白菜,かぼちゃ,人参,さといも,ほうれん草,さつまいもなど一緒に食べる.今週に入り食欲は自分なりに旺盛で(それでも娘より全然少ない:笑),おやつも食べれて,ちょっと嬉しい.

あまり水やお茶が飲めなかったときに,「水分をもっととりなさい」と周りから言われちょっと辛かったことがあった.その時も副作用マニュアルにあったポカリスウェットをお湯で割れば,快適に飲めることがわかった.これには電解質イオンも含まれ体内に吸収されるのでその点でもいいかな,感じている.

と,頑張って食べてるのだけど,毎日200gずつ順調?に体重は落ちている(これは多分散歩でカロリーを消費するため?).まあどこかで収束するだろう.折しも新聞やテレビで「東京ミシュラン」の話が出ている.終わったら食べに行こうね,と話がはずむが,それもいいが,今は吉野家の牛丼かメガバーガーかな?とちっとも自然派になりきれない:笑.いかにも自分らしい.

2007年11月22日木曜日

体力

木曜日: 「今週は4日間だから」と娘がいったように今日は休日前.毎日が休日である身にも曜日感覚はあるが「祝日」感覚が消えていて,明日が休みであることが実感としてなかった.今日明日と大学で秘書さんに色々雑用をお願いするつもりだったのだが,「金曜日」はお休みですよ,と言われてやっと娘の言葉がわかった次第.これも老人力?

昨日のオリンピックをかけたサッカーを見てると,体力(ここではスタミナ)がつくづく問われるスポーツだと思った.最後まで攻守に走り続けた選手を見ていたく感心した.そういえば,昔はシーズンの度に一試合だけ必ず息子をつれてヴェルディの試合を見にいったが,ラモス選手や北澤選手の体力には脱帽したものだ.(つでに北澤選手のミドルからふかすシュートも)

SLAM DUNK でも,40分動き回れる体力が勝敗の鍵を握る,といった記述が多い.それはそうだろう.出てくる人物はすべて何かしらに秀でているのだが,体力が落ちて交代となるシーンも多く,そこから物語が更に展開するしかけになっている.非常に巧みだ.卓球は体力はあまり要らないですね,と言われることが多いが,とんでもない,夏の暑い日に何試合もこなすにはそれこそゴリラ(失礼)なみの体力が要る.

「治る力」も基本は体力だ.退院したころは,近くの散髪屋までですら,家内が「車で送ろうか」という感じだった.あの時は,寝て治す,のが良いとも感じてた.(本当の善し悪しはわからないし,また次のクールでも戻るかもしれない.)今は,普通に歩け,ちゃんとコンビニまでお使いにいけるようにもなった:笑.店員さんは,毎日同じような時間に現れて,漫画を買って去って行くおじさんにチェックを入れていることだろう.

入院するまで,25年間朝は腕立て伏せをしていた(サッカーのトレーナをやってる息子にはもっときちっとやれ,と叱られるが).これは会社勤め時代,頭よりも体力勝負の時があり,それ以来続けないと不安なくらい今まで続けて来た.

入院後はもちろん自粛というか,出来る筈もなかったが,この2,3日また少しだけ始めた.たった5回だけ.身体を支えた瞬間から,身体を地面に水平にするまでの時間が速い!.腕の筋肉が落ちて支えきれないからあろう.なんだこれは,と思った.が,できたのでちょっと安心した.週末までに地道に一回ずつ増やして行く予定だ.(お腹は今日も順調!)

2007年11月21日水曜日

Quality of Life

水曜日: 今度の診察は土曜日.今の担当の先生は金曜日が外来の日だが,金曜日は祝日のため,特別に土曜日に診てもらうことになった.主に腎機能のチェックをして月曜からの第2クール目の治療方針が決まる.場合によっては,短期入院する可能性もある.(また薬を変更しスキンヘッドになるになるかも知れない!)

シスプラチンの時もそうだったが,点滴治療の方が体内にどんどん水を流せるので,腎機能を少しでも高めることができる.無論,入院よりは自宅の方が快適なのは言うまでもないが,入院の方が効果が高いのであれば,進んでその方を選ぶ.

さて体調の方はすっかり回復し(家内も!),腹痛も下痢もお腹に貯まるガスも殆ど(感じられ)ない.違和感はもちろん少々あるが.最近は毎日の天気が気になり,晴天が待ち遠しい.今日は朝から新聞で24時間太陽と星マークだったので,昼食後の散歩が待ち遠しくて(子供と言うよりは,犬だね:笑),昼食をとった後すぐに出かけた.

出かける時は,大きめのマスクをし,息子の土産に買った major league の帽子を借りて出かける.今日は近くの公園のちょっとした丘まで登って休憩.そこでは適度の風を受けと太陽の光を浴びることができるので快適(単なる日光浴).しばらくそこでウダウダしてから帰ろうとして,帽子がないことに気づく.

来る途中でマスクをはずした時に風が吹いて来てマスクが飛びかけた.その時に落としたのかと思い,帰りは道々探しながら戻ったのだけど,見つからずへこんで帰宅.家内に「ちょっと遅かったね」と言われ帽子のことを話すと,「最初からかぶってなかったじゃない,部屋にあるよ」と言われ,嬉しいやら情けないやら,老人力はまさに全開である!

とまあ昼からこのような生活をしている人はいないと思うが:苦笑,ふと生活の質とは何か,と思うようになった.普通の生活ができることがどんなに幸せなことか,が身にしみてわかる.同時に厳しい抗がん治療を拒否し,普段の生活に戻られる人達の気持ちもわかるような気がする.今でしか経験できないこの気持ちは今後も大切にしなければならないね.

2007年11月20日火曜日

ライブ

火曜日: 今日は下痢もすっかり収まり,腹痛も殆どなく、喉のいたみも消え,体調としては絶好調?だった.一方で,家内は少々寒気を訴え,見るからに風邪のようだ.明らかに無理をかけているので(感謝&陳謝),こちらが元気にしている時くらいゆっくり休んで欲しいのだが,こちらからは何もできないのが心苦しい.

音楽にせよスポーツにせよ仕事にせよ,ライブが好きだ.なので,時には観るだけでなく,自分でも演者になることもある.音楽やスポーツについて書くと熱くなるので:笑,別途横に置くことにして,仕事のライブと言えば,やはり学会や講演会に参加することだ.特に国際学会であれば,自分を発信できるだけでなく,生の情報を得ることができる.また多くの友人達との再開,新しい出会い等,気分をリフレッシュしてくれる.

残念ながら年内の国内外の学会はもちろんキャンセル.(来年もどうなるかわからないが,3月にハワイで開催される学会にはできれば養生を兼ねて参加したいね.)それでも来年の国際学会への参加には今から予定をたてねばならないので頭が痛い.でも復帰を念頭に(念願として)計画だけはしっかりたてて置くことにした.ダメでも研究室の助教さん達に頼めるし.

今日はそんなこんなで,やはり国際関係の仕事で目一杯忙しかった.一つは12月頭に開催される国際学会での学生の発表原稿の校正.これはやはり自分以外では無理なので,頑張ってやった.それから,来年度フランスからの留学生受け入れの打診.これは EU の新しい大学院制度に基づく話で,来年度自分自身(ほんの短期だが),夏休みを中心に Visiting することになっている関係で,修論指導ということで受け入れ依頼がきた.もちろん◯なのだが,ペーパーワークが幾つかあり,国際センター所長に投げたところ,一瞬にして片付けてくれた.フットワークの軽さに大感謝.

修論,卒論の指導と言えば,今はメイルでちまちまアドバイスしているが,やはりライブ感に欠ける.これは仕方ないのだけど.ちょっと(かなり?)話は飛ぶが,新しい MAC OS Leopard では,新しく Video iChat ができるそうで,これは,テレビ電話風に使えるだけでなく,プレゼン等のファイルも共有して両者で観ることができる.これは指導にも使えるかなと思った.

本当に寒くなった(毎日書いてるね:笑).特に今日は午前中くもりだったので,暗くて寒くて,早く陽が昇らないか待っていた(新聞には3時から晴れるとあった).2時頃から太陽が出て来た.早速電脳ガジェットを持って散歩に.この使いにくい機械もようやくちゃんと動くようになってきた(今日は GPS で遊んだ).ちょっと気も晴れる.

2007年11月19日月曜日

イメージ

月曜日: どうやらお腹の方も一段落ついてきたようだ.酷い下痢状態からほぼ普通に戻って来て安心.押し込まれるような酷い痛みも収まった.気分も落ち着いて今日は happy かと思いきや,朝ちょっと喉の奥の上の当たりに軽い痛みが.家内にも同じような症状が.もしや風邪?幸いイソジンうがいで今は大丈夫.寒くなって来たのでこれからは要注意.

ところで,スラムダンクの重要なサブキャラの「ゴリ」(主人公しかこう呼ばない)が,試合途中で痛めた足首をテーピングしながら「俺は県大会で優勝することを,高一の時から毎日思い続けて来たんだ」と控え室で語るシーンがある.この後,精神は肉体を超え(本文通り),試合に戻りプレイを続ける.

よくスポーツ心理学で「試合に勝つことをイメージしなさい」と指導する話はよく聞く.それの効果をとりざたされることは余りないが,逆に心理的にプレッシャを感じて,本来の力を発揮できなかった話はそこいら中に転がっている.このようにスポーツ競技では,こころの持ち方が極めて重要である.

同様に,治癒力を高めるためのイメージ療法というのもあるそうだ.無論これも専門家によって多種多様あるようだが,興味深いのは,専門家により患者をトランス状態にさせ,患部と対話をさせる方法.患部がどう治して欲しいのか,それに対してどうしたいか,等を聞くのだ.例えば「患部が暖めてて言ってるので,暖かいタオルで暖めてあげた」とイメージさせる.これにより治療の効果が上がった例が幾つもあるということだ.

さて,せっかく1日3回も寝ており時間はたっぷりあるので:笑,横になりリラックスし夢心地のところで,患部をイメージしてみることにした.意外にぼーっと画像が浮かんでくるものだ.突然胃の痛みが増したときに,白っぽい色が炎の色になったりする.そこで少し患部と対話する(というか一方的にこちらから思い込むだけ:笑).お互い早くよくなろう,とか.(悪い細胞のまま元気になってもらっては困るので,この辺りが難しい:苦笑)

ようは,リラックスすることがいかに大切で,プレッシャはストレスを溜め込むことが,いかに身体に悪いかということだろう.振り返れば,pressure free, stress less で過ごして来たつもりだったけど,実際はそうではなかったのかも知れない.今は復帰をイメージするとともに,その後の過ごし方についてもちょっと考えるようになっている.

2007年11月18日日曜日

本日は晴天なり

日曜日: 今日で休薬期間2週間のうち1週間が終わり.やっと下痢の症状も落ち着いてきた気がする(ちょっと嬉しい).が,油断は禁物.継続して食事は柔らかいもの中心.下痢が長く続くとトイレに臭いもしみ込むので,かなり家族に迷惑をかけている(消臭剤だらけ:苦笑).これでちょっと安心.幸いトイレ以外は大丈夫とのこと.

今日は本当にいい天気だった.太陽からも沢山エネルギーを貰いなさい,と神の啓示を受けているので:笑,朝から部屋の中に太陽を一杯いれながら,空気の交換.今日の朝はいつもより食欲もあり,出だし快調.もう10年くらい出かけない日曜日の午前中は,たいていコーヒーをたっぷり2杯のみなら,まったり過ごしていたものだが,今日はそんな感じ.違いはコーヒーがポカリスウェットのお湯割りになったくらいか:苦笑.

昼食後は,テレビの前で東京女子国際マラソンに釘付け.優勝した選手と名字が同じでということもあり,以前から注目し応援していた.アテネ五輪の時は,海外出張からの戻る飛行機の上にいたので実況を見れず,成田空港で売店のおばちゃんに,買う物も買わずないで,マラソンどうなりました?と聞いたのを思い出す.あれウチの姪っ子なんです,なんて冗談をいいながら(大変失礼しました).

なので、今回のレースも着目していた.テレビを見ながらコースを調べ,入院していた近くを走るんだ,とか思っているうちに,最後の坂でライバルを振切って優勝.強いねえ.あのストライド,腕の振り,筋肉もあり強さを感じる.嬉しい誤算は,テレビから絶え間なく聞こえるこの選手の名前が,何か自分にも頑張れと言ってくれてる気がしたことだ.(かなり厚かましい:笑)

レースが終わって,まだ日が出ているうちに,散歩にでかける.すかさず家内が「走らないでよ!」まあ気分はそうなのだが,まだまだ普通に歩くのが精一杯.近くの公園で太陽を浴びながら深呼吸.写真は近くの公園のスナップ写真.携帯でもこんな青空が撮れる.十分にリフレッシュして帰宅.これからはスラムダンク時間:爆

2007年11月17日土曜日

SLAM DUNK

土曜日: 体調は昨日とほぼ変わらず,印象的には非常に緩い傾きで改善中てところか.幸い気分は悪くないので,午前中は軽く仕事と朝寝,午後はだいたい読書や音楽や散歩でリラックス.夕方もう一度寝る.

新聞に「スポーツマンに影響を与えた日本の漫画(アニメ)」という記事が掲載されていた(る?).覚えているだけ書くと「キャプテン翼」「SLAM DUNK(スラムダンク)」「はじめの一歩」「六三四の剣」,後は初のアメリカンフットボールの漫画等.このうち幾つかはアニメやコミックとして国際的に親しまれている.

特に「キャプテン翼」は,多くの J リーガのみならず,欧州のトッププレーヤの愛読書でもあり,翼に憧れてサッカーを始めた人は内外を問わず多いようだ.面白いのは,現在翼は(まだ連載している)欧州でプレイしているそうだが,漫画の上でなく,実際にレアルマドリッドのオーナーが,翼はなんでウチでプレイしないんだと怒ったそうだ.

著者によると,翼を初めた時は,日本はサッカー低迷期でとにかく日本が強くなることを(極端に言えば,連載が終わる頃にはワールドカップ優勝できるくらいの力をつけているように)motivation にしていたそうだ.同じように,アメリカンフットボールの漫画が人気が出たおかげで,アメリカンフットボールの用語やルールを知っている若者が増えたそうだ.この影響力とは凄いものだ.

自分は「スラムダンク」は読んだことはなかったのだが,海外を含めて若者に莫大な人気があることくらいは知っていた.また息子も娘も家内も大ファンななことを自宅療養をしてから初めて知った.実は「難しい、字の小さい本ばかり読まないの!」と言って,家内が息子の部屋から漫画をもってきてくれたのが読み始めたきっかけだ.(最初は”派出所”を持って来てくれたのだが,これはパス:笑)

いつだったか,学内のプロジェクトで RA の学生達と懇親会を行っているときに,韓国からの留学生が「私はスラムダンクに憧れて,なるべく舞台となっている高校に近い大学に留学することを決意し,この大学に参りました.残念ながらキャンパスが違っていました:笑」と自己紹介してくれた.スラムダンクは湘南辺りの高校を舞台にしている.

というわけで,家内にリクエストすると,ちゃんと息子が全巻揃えているというので,1日2巻ずつ読むことにした.シリアスな面と漫画特有のふざけた面がうまくミックスした,少々のキャラのかぶりをものともせず,ひたすら直球一直線の仕上がりになっている.コマ割りも大きく眺めるように読めるのだが,余りに面白すぎて,本当にお腹にひびくのだ:笑笑.著者のバスケット愛がジンジンと伝わってくる.これは人気でるわ.主人公に限らず,すべてのキャストから元気を貰っているこの頃である.

2007年11月16日金曜日

ライフスタイル

金曜日: 今日も体調は昨日と左程変わらず(ちょいへこみ),が,お腹の痛みのやってくるインターバルが随分と長くなった.まあ痛みも減って来た気がする.これも少しライフスタイルをちょっと変えた効果か.ライフスタイルを変えるといっても,全然大したことでなく,友のアドバイスと本を読んで自分で今できる範囲の些細なことをしようと思っただけ.

少しだけ書くと,まず無駄な薬(抗がん剤じゃないよ!)を一旦やめることにした.例えば今胃潰瘍でもないのに,胃散を抑える薬を飲んでいた.それから胃の粘膜を強くする薬等.これらは外来で診ていただいた先生も「要らないんじゃない」という suggestion があったのでそうすることにした.それから食事の内容も少し変えた.まあこれは今消化系がよくないので,自動的にそうなるわけだが.

今一番意識しているのは「呼吸法」について.「癒す心,治る力」には呼吸法について本当に詳しく書かれている.が,自分自身をこれを読む前から少し気づいていた.例えば,お産を楽にする呼吸法があると聞いたことがあるが,今ちょっと苦しんでいる間欠的な痛みに対して,呼吸をうまく合わせれば痛みが和らぐのだ(逆にうまくシンクロしないと逆効果).

「癒す心,治る力」には何種類もの「呼吸法」が詳しく記されており,中でも新鮮な空気の中で大きく深呼吸することが大事だと書いてある.新鮮な空気の心地よさは病院で嫌程実感しているので,早速取り入れることにした.朝6時に起きて新聞を取りに外に出た時,午後散歩に出かけた時には,公園で深呼吸をすることにした.これでかなり気分がリフレッシュされる.

3時頃公園まで散歩すると,幼児を連れたお母さん達,学校が終わった子供達,犬の散歩の人達がいる.そこに中年のおじさんが,定期的にやってきて何もせず,時折深く息をして帰っていくので,そのうち不審人物に思われるかも知れない:苦笑.写真は,家の壁にくっついていた親子バッタ.頑張って張り付いていた.随分寒くなった.後2週間で暦上では冬が来る.

2007年11月15日木曜日

癒す心

木曜日: 今日も体調は昨日までと左程変わらない.ただ今日から少しライフスタイル(というには大げさだが)を変えてみた.どのように変えたかは,また追々述べることにして,すぐには結果を求めず,徐々に改善することを期待する.

まだ大して読み進んでいないのだが(並行して、週刊誌,宮部みゆき,息子から借りたスラムダンクを読んでいる:笑),記憶が新しいうちに「癒す心,治る力」のうち「こころ」に対する記述にも触れておくことにする.

筆者は,生体システムの中に,心のメカニズムも組み入れるべきだと考えている.というのは,DNA から細胞,更にはもっとマクロな器官に備わっている,損傷を受けた際に自然治癒していく力が,心にも備わっているからだ.強烈な悲しみも,時間とともにあるいはセラピストの力を借りながら穏やかになれる,ということに相当する.ただ,この心のメカニズムが,システムのどの階層(例えば DNA よりも更に深い層)に位置しているかは不明だとしている.

「こころは原因か結果か」という議論が,やはり心理学や宗教,哲学と同様に医学の世界でもあるようで,科学の世界ではどうやら「結果」ということになっているらしい(同僚の先生の書物でも同じような意見だった(と思う)).しかしこの筆者は,心が原因で多くの治癒を体験したことにより,この意見を否定している.例えば,病理学的に決して効果がないとされている薬を用いても「治る」と信じることで治癒する「プラシーボ反応」を例に挙げている.

この「こころ」は,受け手一人で形成するものでなく,特に病人の場合は対話する人の発言にも大きく左右されるので,対話できる相手を(カウンセラーやセラピスト)を選ぶことの重要性も説かれている.例えば,現代医療にたずさわる医者の心ない一言(もう無理です.的な発言)がどれだけ,治癒能力を後退させるか,あるいは,相互イメージ療法と呼ばれる方法で,治るイメージを双方が共有することで,どれだけの治癒効果があったか,筆者の例も含めて紹介されている.

まだ「こころ」にまつわる章は始まったばかりで,完全には理解しきれていないし,誤解している点も多いかと思うが,少なくとも今の自分で「納得」して消化しきれた部分についてのみ記した.やはりポジティブに考えること,ポジティブな意見を共有できる方達と話し合うことが重要なのだ.(ちなみに,入院していた病院の先生のうち最初に診て下さった先生は,科学的には証明されてないんですが,という注釈つきで,ポジティブに考えることの重要性を説明して下さった.)

この本では,戦争ではないのだから病と「闘う」という表現はおかしい,「受け入れる」ということも書かれている.こちらは,受け入れた上で闘っているつもりであった.この当たりが,「治療」と「治癒」の根本的な考え方の違いなのかも知れない.

2007年11月14日水曜日

治る力

水曜日: 今日も昨日と変わらず,間欠的な胃の痛みと下痢状態が続く.間欠的な痛みの周期は何で決まるのかわからない.横になってお腹の状態を観察していると,どうもガスか定期的に生じて,それが胃を膨らませた時に腫瘍を刺激しているのかと思われる.問題は何故ガスが定期的に生じるのかのだが,やはり消化器系が弱ってるのか.

今週から読み始めた「癒す心,治る力」には興味深い記述が多く見られる.まず人体は個が集まり全体を成す「システム」であること.従って個が機能していないときに,個に偏った「治療」を施してもダメな場合がある.本来人体は自然治癒する能力を備えているのだから,システムの一部の別の箇所が機能していないことにより,自然治癒能力が低下していると考えた方がいい場合がある,ということであった.

最も興味深かったのは,人間には1次呼吸系と2次呼吸系があるそうだ.2次呼吸系というのは通常の肺で行う呼吸のこと.1次呼吸系というのは,うろ覚えだが,頭蓋骨,脳,脊髄..等で行っている微妙な振動(脈動)のことで,この1次呼吸が不安定になると,システムそのものが不安定になる.この微妙な振動は,オステオパシー医学(非薬物的治療を行う医学)の熟練医は,頭に手を当てるだけで感じることができるという.

この1次呼吸が不安定の場合には,頭蓋骨の噛み合わせが悪いことがしばしばあり,この本に出てくる熟練医者は,「たぐいまれな手技」のみでこのずれを直し,一言「お終い」といって治療を終えるそうだ.例えばどうしても治らなかった潰瘍性大腸炎が,この方法で治った等,数多くの実例が記されている.大事なことは,この治療で患部を治したことではなく,人体の持つ自然治癒力をもとに戻した,ということである.

まだ1/3も読切れていないが,自然治癒力を正常に戻す,向上させるにはどうすればいいか,生薬に関する細かい説明や心の持ち方も含めて詳しく記されている.これを読んで学んだ(多分)一番大切なことは,「何でもあり作戦」でいいのだけれど,自然治癒力(治す力)を向上させるには,治療に対して「受け身」では行けないということだ.自分で治す努力を怠らない,それは自宅にいる間しかできないだろう.少しライフスタイルを見直そうと思った.

2007年11月13日火曜日

タヒボ

火曜日: 成る程,抗がん治療を休止した時の体内の状況が理解できるようになった.正常細胞も元気になるが,悪玉も同様なわけだ.引き続き間欠的な痛みと,軽い下痢が続く.気分は悪くないし,熱もないので,痛みをちょっと我慢する以外は普通に暮らしている.夕方学科の先生から電話があり,一人だったので電話を受けると「寝てなきゃダメじゃない」と叱られた.この手のやりとりは会社時代に一度あったなあ.あの時は喘息だった.

さて,休薬期間はタヒボ茶を飲むことにした.これは大阪の実家からの「厳命」
であり,家内は嫁としての「義務」を全うして,病院にもしばしば持って来てくれた.が相談の結果,休薬期間に飲むことにした.写真はタヒボ茶のパッケージ.随分とモダンだ.健康茶としても知られているそうだが,ガンにも効果があるといわれている.実際,母や姉や入院前にホームページで見たところによると

・腫瘍に効くと言われている成分が含まれており,特許が認められた.
・元々の発見者は,西を代表する国立大学の医学部教授だそうだ.
・奈良に住む叔母がこの先生と知り合い?で,自分がガンになったときに,これを勧められた.
・叔母は抗がん治療と並行してこれを飲み,無事生還されて今でも元気である.
・健康茶の濃さの6倍の濃度にして飲むと,ガンにより効果的.すごく苦い.ちなみに母曰く,父は(4年程前ガンで他界)「こんな苦いもの飲めるか」といって拒否したそうだ.
・治療を受けている病院の先生は,飲むことについてポジティブではないだろう.

ということだ.昨日から飲み始めたが,苦さは特に気にならない.主に本を読みながら,あるいはメイルを見ながら,ちびりちびり飲んでいる.まあ水分はできるだけとるように言われているので,頑張って飲み続ける.

昨日友人が 「Spontaneous Healing,癒す心,治る力」という本を送ってくれた.所謂「治療」と「治癒」の違いについて述べられている.前者は現代の医療技術による「治療」のことで,後者は心を含めた身体の持つ自然「治癒」力のことである.まだ全部は読めていないが,作者のワイル氏は後者を推進する医師であり,豊富な実例と実践が記されてある(それこそ何でもあり,タヒボもこの類).読み進む程興味深い記述があり,今先進「治療」を受けている自分ではあるが,病気に向かう姿勢や頑張る元気の原動力となりそうだ.

2007年11月12日月曜日

休薬開始

月曜日: 今日から待ちに待った?休薬期間の筈だったが,敵もこちらからの攻撃が緩まったとみたのか,お昼頃から反撃を始めた感じだ.具体的には,結構な頻度で胃の痛みがやって来る.なんか通りそうにない隙間にぐっとものを押し込まれたような感じ.これまでとも少し違うかな.また体が何となく熱っぽい.ちょっと予定外であったが,じっと我慢して結局は,これまでどおり朝寝,昼寝をして少し落ち着いた.少なくとも精神的には負けない.

休日があけると,研究室,学科,学会からのメイルが舞い込み,新たな週が来たんだなと思う.これは療養中の身でなければ感じないことだろうな.研究室からのメイルで,今年の合宿は「つま恋」(ヤマハリゾート)だそうだ.つま恋と言えば,今の車の前の RVR を買った際に,もれなくつま恋一泊旅行がついてきて,家族で行ったのを思い出す.あの頃のガキンチョどもは可愛かった.

ついでに、つま恋といえば,30年程前に,たくろう・かぐや姫の24時間ライブがあった.高校生の頃友達と2人ででかける予定だったが,お固い?高校だったために校長自ら行くな,と言い出し,結局行けなかった.そのコンサート,去年だったけ,Forever Young と題されてまた開催された.これまた行けなかった(行かなかった)のだが,行った友人から記念バッジをもらった.今年の夏休みに去年のコンサートのビデオを見ることができ,いたく感激,その感想を,お遊びのつまりだったこの blog の2回目にで書いた.なんか奇遇だ.

さて,こちらも休薬期間中は何でもありなので,「タヒボ茶」というものを飲むことにした.結構強烈.これに関するエピソード(この使い方は変か?)はまた後ほど.胃の痛さは別として,副作用の気分が悪く波はなくなった.休薬期間が楽になるという期待は甘かったが,まあ闘病とはこんなものだろう.2週間頑張る(トホホ).

2007年11月11日日曜日

1クール投薬期間終了

日曜日: 今日も天気が悪く寒そうだったが,昼からは日も射してきた.食欲は戻りつつあり、食べる量も「娘のダイエット食」くらいの量になってきた.水分もすんなり摂れるようになったが,このところの変化に胃の方がついていけず、常に胃の中で反応が生じている感じ.時に痛むし,腹も下し気味である.まあ明日からはまた変化があるだろう.

ちょうど検査から1ヶ月たった一昨日病院に出かけた.外出着に着替えていると,己の体型の変化に驚く(スリムになったてこと.相対的にだが:笑).まず,ポロシャツ,いつもはあまりにピッタシサイズで,寧ろお腹の線が浮き出てみっともなかったシャツが格好よく見える(赤の Fila).ちょっと大きめだった Levi's は,歩く程にずり落ちそうな感じ.時計はなんと肘のあたりまで(これは嘘),余裕たっぷりでぶらんぶらんしている.(女性の場合は痩せたら手首から抜けるのよ,ブレスレットの場合とは家内の弁)まあ嬉しいような,悲しいような.動き回らないので足の筋肉はすっかり落ちてしまった.これは悲しい.

研究室の OB から花が届けられた.凄く奇麗だ.ありがとう.でも生花はあまり家に置かない方がいいとのことなので,家内と相談した結果,先週入院した義父のとことに持っていこうということになった.義父の方は,何とか手術せずに済み,来週には退院できるようだ.よかった.家内もこれで少しは落ち着くだろう(一頃は本郷と信濃町の病院を慣れぬ首都高を駆使してはしごしていた).

一応一段落するので,振り返って,腫瘍による自覚症状,特にひどかったときの状況を記しておこう.(あくまでも個人的な症状)

・胃の重たさ: 鉄のかたまりか何かをみぞおちに乗せられている感じ.時に押し込まれ,時に引かれ,繰り返しを受けているうちに,胃が口から押し出されそうになる.その時何か金属をなめているような味が喉の奥でする.

・鋭い痛み: これは連続的なものでなく,瞬間的なのだが,間欠的にやってくる.太い注射針を刺したときのような痛みが,胃の中央部よりは,胃の周り,その周辺部に生じる.

9月初めあたりからじんわりと感じ始め,仕事にでかけると忘れる,それが2週間続いたので,最初は近くのいつも診てもらっている医院にでかけた.まず胃潰瘍を疑い1週間特効薬を服用したが改善しないので,胃カメラをとることになった.で,今日に至る.胃の悪性腫瘍は,自覚症状を感じた時点では,すでに初期ではないそうだ.ついでに言えば,必ずしも痩せるわけではないのだ.

幸い,治療を始めてからは,食後の胃の葛藤はあるものの,上記重たさや痛みは随分軽くなった気がする.明日から2週間休薬となるので,壊れた健康な細胞の復活を期待するのだが,同時に腫瘍も我が物顔で振る舞うのではないか,という不安ももちろんある.そこは事前に家内と練ってあり,いよいよ何でもあり作戦が登場する予定である.

2007年11月10日土曜日

これまでの副作用

土曜日: 昨日の外来診察で精神的,肉体的にそうとう疲れたらしく,アドレナリンが出きった今日は体がどんよりしており,いつもより朝寝も長く,昼も寝床中心で過ごした.でも,いよいよ今日明日で1クール5週間のうち3週間の投薬期間が終わる.結局 TS-1 + シスプラチンによる(自覚症状を感じた)副作用は次のような感じである.

・気分の悪さ,吐き気:気分の良い悪いは波がある.波の高さは,平均すれば,少々の我慢と,大人しく寝ることで回復できる程度なので,これはラッキーだった.吐き気は1,2度あったが,結局吐かなかった.食欲が戻りつつある今でも吐き気は全くない.これもラッキー.

・食欲:これは病院にいる間は,一気に落ちた.つわり状態も経験した.ご飯の匂い,みそ汁の匂い全部駄目.これにはメゲた.だが,退院後は復調.量的にはまだまだ.家内によると,1週間で,離乳食から,幼稚園児,今は小学3年生:笑,くらいにまでは回復した.ただ,お腹の中は常に化学反応状態?なので,食べると未だに一瞬驚く=痛む,ことがある.ので,いつも様子見様子見食べている.

・肌の変化:肌が乾燥肌になった.またちょっと色に元気がなくなったか.昔からある痣や傷跡などは,殆ど死んだ色をしている.全身発疹はなかった.寝間着などが接触するところには少々できる程度.口内炎は,唇にだけできた.で,熱いお茶が飲めなくなった.幸い口内は今のところ大丈夫.味覚も落ちていない(ラッキー).

・その他1:声がハスキーになった.寝起きは完全なかすれ声.家内曰く,水分がたりてないからよ,そんな気もする.なので会話自体少し疲れる.それから,口の中の状態に非常に敏感になった.特に朝起きると口の中が気持ち悪く,まず一番にうがいをするようになった.これ,食事をする時に,本当に食道を通り易くするために小さく小さく食物を噛み砕くので,それが歯の細かい隙間にたまることにもよるのだろう.

・その他2:上記はあくまでも,自分で感じた副作用である.自分で気づかなかった体内の変化は血液検査の値に現れ,昨日も書いたように腎機能が少し低下している(その他は大丈夫のよう).抗がん剤恐るべし.まあこれは自然治癒力に期待しよう(するしかない).

・余談:入院しているときの,抗がん治療マニュアル(副作用への対応)には「性生活」という項目もあった:笑.看護師さんが毎日オリエンテーションしてくれたのだが,誰もこの項については説明してくれなかった:笑笑.恥ずかしいのか,不要と思ったのか:笑笑笑.(内容は行為?に関するものではなく:笑笑笑笑,子種が減るとか増えるとかの話である)自分としては、機能低下自体は,自覚症状としてないような.笑笑笑笑笑,

肌や唇の荒れには,家内の乾燥肌用ローションやリップクリームを,また歯ブラシ以外の細かな歯のケア道具も家内から借りて使っており,非常に助かっている.ほーら普段の我々(家内と娘)の気持ちが分かったか,とからかわれている次第.とまあ,完全に支配下に置かれている状況である.明日は1クール投薬の最終日だ.一応わくわくしていたりする.

2007年11月9日金曜日

一勝一敗?

金曜日: 今日は退院後初の外来診察日.1時から2時までの間に受付,診察の前に採血とレントゲンを撮らなければならない.だいたい家を11時頃に出る予定.そこから逆算して,今日は早めに朝寝.午後は昼寝ができないかも知れないので,努めて体力温存.

さて,高速は予想通り渋滞.実は車の移動はちょっと体にきつい.無論体力が落ちているので電車での移動はもっと悲惨だと思うが.まずシートベルト.胃およびその周辺に病巣を持ってるので,固定される位置が非常に微妙で,その圧迫感により違和感が増す.加えて加速度により(胃に感じる)慣性力が結構負担.しかも渋滞だったので,そのアップダウンが多くて結構まいった.でもまあ,何とか慶應病院にたどり着く.

受付まで時間があるので,新しく病院敷地内にできたスタバで軽く昼食.屋外の方が気持ちいいのでテラスに陣取る.落ち葉もありそれなりの風情.もちろんこちらはコーヒーは駄目なので,持ち込んだ水とおにぎりで一服(家内はちゃんとオーダしたよ).写真はテラスから撮った写真.よく見ると店内,真ん中に青い液晶画面があり,数字が800と書いてある(のがわかる?).実はこれは薬の受け取りの整理番号である.つまり,薬の順番待ちの間スタバでお茶できるということだ.他の病院は知らないし,場所が場所だけにそんなに儲かるわけでもないと思うが,素晴らしいコラボ,ビジネスモデルだと思った.

予約していた割には,1時受け付け開始の5分前に受付した割には,診察順番はラスト.待っている間に,宮部みゆきを読み始めるが集中力が続かずパス,少しして復活したので,軽く英語論文の査読を敢行.だいたい目を通しておいたので細部だけチェック.コメントだけメモした.入院したときにお世話になった看護師さんが来て,こちらの様子をうかがってくれる(覚えてもらっていて嬉しい).なんやかやで2時間くらい待った.

さていよいよ診察.細部の検査はしてないので,X 線と血液検査からの判断.ちょっと嬉しい話,腹水は減ってますね.次に今日1番のヒット.先生ずっとうなった後「腫瘍マーカの値は正常なんですね..」「これはいいことでもあるのですが,(実際は体内には腫瘍があるので)むしろもっと大きい方が(変化がでるので)治し易いんだけどな...」問診,触診を受け,「今日の印象では効果は現れています」,気分的には一勝かな.

でもいい話ばかりでなく,残念な話もある.やはり点滴「シスプラチン」の副作用は強力だったようで,血液の値から判断すれば腎機能が少し低下しているようだ.入院から退院までずっと正常値だったのが少し閾値を超えた.腎機能が落ちると今後の治療が大変面倒くさくなるなので,強行はしたくないとのことだった.幸い TS-1 による影響はなく,これから休薬期間に入り正常状態に戻る可能性が高いので,その値を見て今後の対処を考えることになった.(やっぱり一敗だろう.)

TS-1 とシスプラチンは良いコンビであることは間違いないのだが,シスプラチンがすべてというわけでもなく,他にも2つ同等の選択肢がある,だからその当たり心配しなくて良いと言われた.だけど...「この二つは例外なく髪の毛が抜ける」ということだ.なのでまずは皆髪の毛に対する副作用のないシスプラチンを使うということであった.もちろんこちらは何でもありの気概できているので,スキンヘッド問題なし:笑.でもできるなら使いたくないので:苦笑,これからの腎機能の回復を期待するともに,これからの2週間は,塩分控えめ,水をとにかくたっぷりとることに決めた.

はてまた今夜は疲れている筈なのに,アドレナリンのせい?か,気分も悪くなければ,眠くもない.でもこのしっぺ返しは多分くるだろうから,今日は大人しく早めに休むことにしよう.

2007年11月8日木曜日

退院1週間

木曜日: 退院して一週間たった.入院時も含め時間が経つのが無茶苦茶速い.オフィスにいると年々月日の経過の加速感は感じていた.入院したときに,看護師さんから皆さん退屈だと仰られますと聞いていた.なので毎日が苦痛なのかと思っていたが,全然誤解だった(少なくとも今の自分は).まあ充実し過ぎている,というわけでもないのだけど:笑.退院後の生活はだいたい次のような感じに落ち着いて来た.

  4〜 5時:目が覚める.
     6時:起床
  6〜 7時:入浴,新聞,メイルチェック等
  7〜 8時:朝食
     8時:TS-1 (抗がん剤)投与!
  8〜10時:うだうだ
 10〜12時:朝寝 

 12〜13時:昼食,メイルチェック等
 13〜16時:うだうだ
 16〜18時:昼寝

 18〜19時:夕刊,メイルチェック等
 19〜20時:夕食
    20時:TS-1 (抗がん剤)投与!
 20〜22時:うだうだ
    22時:消灯
 22時〜  :夜寝

よく寝てると我ながら感心.もちろん寝付くまでに本を読んだり音楽を聞いたりするのだけど,割にさくっと寝入ってしまう方だ.(寝付きの悪い家内によく文句を言われる:笑)目覚めた後は,だいたい調子がいいので,そのすきに頭の使うこと,液晶画面相手にしなければいけないことをする.

副作用には波があり,大きめの波が来るタイミングは大体わかり,そのタイミングに合わせて眠るようになった.(頭を使いすぎたときは,より大きめの早めの波が来る.)うだうだしている時間は,仕事をするときもあれば,web サーフィン,電脳ガジェットで遊んだり,あるいは本当に何もせず瞑想(迷想,妄想)している.

明日は1週間ぶりの外来検診.採血とレントゲンしかとらないので,何がわかるわけでもないのだが,久しぶりに外に出るので嬉しい.(とは言っても,車で door to door だけど)家の中の景色もちょっと飽きて来たので,外の空気の写真をとって来よう.

2007年11月7日水曜日

継続は力

格闘技系の雑誌に,日本を代表する世界的なブラジリアン柔術の大家の記事が掲載されていた.選手としても指導者としても大成された方である.その経歴を見て少し驚いた.某国立大学出身の方で,「高専柔道を継承し,主将として七帝大戦で母校を優勝に導いた」というのが(柔道時代の?)特筆された実績なのだ.

驚いたのは「七帝大戦」というところ.これは日本の旧七帝国大学の運動部が年に一度一同に介して対抗戦を行うもので,自分が所属していた卓球部でも大事な年間行事の一つであった.が,30年前ならまだしも(この方は僕よりも全然若い),伝統はともかくとして,その実力レベルは所謂全国レベルからは程遠い(偏差値の高い大学間の大会だから当然,もちろん個人的に凄い人は,この方のようにあるだろう).

つまり日本を代表するトップアスリートの経歴の1番目に,「七帝大戦で母校を優勝」と書かれているところが,何とも不思議だったのだ.他の競技では,例えば卓球ではまずこんな経歴はありえないから.また,このような実力者が,七帝大戦活躍された以上の実績はなかったのか,とも思ったわけである.不思議反面,もちろん嬉しかったけれど.

先の OB 卓球大会は,この七帝大も含めた全国国公立大学の OB 達が集う試合である.夏の現役の大会は,全国国公立なので七帝大よりは勝ち抜くのは大変だが,それでも全国大会とは言え,全日本レベルでは到底ない.であるが,やはり同じような環境で練習を切磋琢磨した仲間で通しで試合なので,盛り上がりは凄く,気合いも入る.頑張って勝ち上がったときの気分は最高である.

その大会を経験した OB 達の大会も同様に盛り上がる.真剣勝負だけでなくレクレーションの意味も含めて.今年は全日本レベルの選手が集まった某大学の OB チームが,若い殆ど現役の OB を含めたチームに負けた.まともにいけば10年は優勝し続けると思っていたが,やはり名選手もやはりそれなりに aging が始まるのだろうか.結局そのチームが優勝したのだが,その中に横浜で何回かお手合わせしたことのある(1勝1敗)選手(自分より少し若い)がきちんと勝っていたので,これまた感心した.

「継続は力なり」というが,やはり地道に続けることが大事である.休んでいるものは自動的に力が衰える,というのは年をとってくれば顕著になる.(往年の名選手ともいい勝負ができる:笑)才能が努力に勝るのは若いときだけ.やはり中年以降のスポーツは,体力プラス努力なのだ.

1クール5週間を2クールという長丁場,現在1クール目の2週間と3日目.この治療の継続により,また体力が戻ってくることを切に望む...

2007年11月6日火曜日

ギャップイヤー

火曜日: やはり入院中に読んだ脳に関する本の中にギャップイヤーという言葉があった.ギャップイヤーというのは,脳の活性化のためには,仕事から離れて1年間くらい遊ぶ期間があった方がいいというもの.実際に英国では,高校か大学を出て1年くらい就職しないで自己の充電期間にあてても何ら問題ない(例えば就職に不利になるとか)そうである.

日本はと言えば,そんなフリータな1年があったらもう大変,就職に対して不利になる,というのが,まあこの学歴社会の一般的な見方だろう.実際大学教員や研究者が履歴書に空白の1年というのを残さないために,有期でも何でも職位が必要とやっきになるのが実情である.(日本の場合は大学の4年間がギャップイヤーだと揶揄する向きもある)

で,今の自分はと言えば,幸運にもちょうどギャップイヤーの時間を貰ったのかな,と思っている.ひたすら寝ているだけなので:笑,活性化するかどうかはわからないが,少なくとも入院する前よりも,直接の仕事が手から離れた時間だけ,多種多様なことを考えられるようになったのは事実だ.ゆっくり休みながら活性化させる,うまくいけばとても素敵なことだ(実際は退化しているだと思うけど:苦笑).

先ほど娘が,ウチの大学医学部の10年程前の物理の入試問題を持って来た.日本語すら分からないという.よし活性化させるか,と考えてみる.確かに問題の意味が理解できれば,非常に簡単な問題である.うちの学部ではこの本文は日本語不明瞭,意図がいくつにも読み取られる,との理由で多分大幅書き直しになるだろう.でも恐らくこの出題者,問題も自分で作らせて,それに対して如何に論理的に解答を導けるか,ということを狙っているのか,と思う.それはそれでいい選抜方法である(ちゃんと採点してれば:笑).

というわけで、思いかけず頭を使ったのですっかり疲労困憊である.ギャップと言えば,10月は入院騒動で,丸々一ヶ月が空洞のように空いてしまった感じだ.その間に夏から完全に秋になっていた(もう冬の方が近いね).写真は,一昨日うちの庭でみつけた秋の景色である.これもギャップが気づかせてくれたものだね.

2007年11月5日月曜日

あっと言う間

月曜日: 昨日の夜中に息子が戻ってきて,一瞬目で挨拶をくれた.ちょうど入院する週に彼も一人暮らしを始めた.だいたい日曜の夜に帰り,仕事休業の月曜日は家でゆっくりして火曜日にまた出かける.無論こちらが入院する予定はなかったので,しばらくの間は家内と娘だけの危なっかしい?家だった.その息子,さすがに一家の一大事だと思ったらしく,月曜日は家の掃除機がけをしてくれてるようだ.今日も,埃っぽいので出てくるな,と言われた.知らぬ間に成長するもんだね.

昼食前に,電子レンジの修理が来た.どうも対症療法はできるのだが,根本的な修理は難しいそうだ.なのでまた再現するかも知れない.(何か,こちらの状況と似てる:笑)応急処置をしておきましたが,また動かなくなったら,コンセントを抜いて5分程放置してから使用して下さい,とのことであった.「このコンセントを抜く方法,父ちゃんがいつも電化製品を直したる,といってやる方法と同じね..」フフフ,現代の電化製品はすべてリセットで大抵解決するのだ.

今日は,大学のメイルサーバの交換日.だいたい筋書きは完璧でも、予期せぬことは常に起こるもの.だいたいクライアントの方もああでもない,こうでもないと時間を費やす.自宅からのアクセスでは,最初は調子がよかったが,途中から色々細かい点が気になって来た.そのうちに,秘書さんから,web 見れない,プリントできない,とのメイルがやってきた.(メイルが着く方が不思議;笑)まあ落ち着くまでにはもう少し時間がかかるだろうね.担当者の方本当にご苦労様.

まあ何とかメイルが使えることが分かったので,昨日さぼった研究室関係のメイルを一気に片付ける.奨学金関係と卒論関係.やっぱり学部生はこれからという時に放って来たので,かなり心配.特にウチの研究室はチーム制をとらず個人で頑張らなければいけないので,後を任された先輩諸氏は大変な思いをしていることだろう.先週までの進捗を拝見して各自にメッセージを送った.

一昨日の OB 卓球大会やはり盛り上がったとのメイルをいただいた.ちょっと羨ましい.大学の部活同期から,会場で入院のことをこっそり聞いたらしく,お見舞いのメイルをいただいた.監督には連絡しておいたのだが,同期には連絡する余裕がなかったので,どうにも気がかりだった.でもこれでスッキリ.大学時代の部活の同期は,やっぱり特別な仲間だからね.

今日はあっと言う間に過ぎた.また,悲しいかな集中力が2時間はもたないこともわかった.悲しむというよりは段々とペース配分が分かって来たと解釈しよう.仕入れた週刊誌すら読み切れなかったので,これは明日の楽しみにとっておくことにする.

2007年11月4日日曜日

Born in the USA

日曜日: 本当に何年ぶりだろうか,8時間続けてベッドにいた.もちろん何度か目を覚ましかけたり,うつらうつらはしたのだけど,たっぷり長居したので後ろめたい気持ちも:笑.でもいい話だけでもなく,途中久しぶりに検査前の時のような,鋭い痛みが1時間程続いた.半分眠りながらひたすら収まるのを待つ.化学反応,今やっつけてるところ,とおぼろげに念じながら.腫瘍による痛みの場合は,酷くなると神経を麻痺させるしか方法はないので(父がそうだった),こればかりは勘弁して欲しいなあ.幸い,眠りからさめると落ち着いていた.

今日は長くぼさぼさに伸びた髪とひげをそりに散髪に外に出た.鏡に映る姿は,時間が経つにつれすっきりしていくのだが,やはりかなり細くやつれたのがわかる.娘にも改めて言われた.確かに10月9日から数えて3週間強で5,6 kg は落ちてるものね.幸い食欲は順調に戻りつつあるので,何とか長期低落傾向を食い止めたいものだ.写真は,散髪の帰りに撮った,無事入院から戻って来たマーチ.その横は愛車のアウトランダー.これにまたいつ乗れるのか.

入院中に読んだ本の中の一つ,村上春樹による音楽評論は秀逸だった.ロック,ポップス,ジャズからクラシックまで,この人の曲や演奏者,作曲者に対する表現力は驚嘆に値する.どうすればこんなに多様に言葉が紡がれているいくのか.クラシックはわからないが,よくジャズやロックの評論に,ただただ抽象的なだけの表現の文章を拝見するが,それとはちょっと質が違う.無論抽象的な表現な方が多いのだが,必ずそれらに対する裏付けが,豊富な作者の経験と綿密に調べたその曲や芸術家の背景や歴史とともに語られるのだ.

ブルース・スプリングスティーンの Born in the USA は,アメリカの独立記念日?かなにかの花火大会の時に大音量で流れ,周りの若者達(そのときはこちらも若者!)を熱狂の渦に巻き込んでいたのを思い出させる.で,自分もただただ,若者のの国粋?意識を昂揚させるだけの唄だと思い込み,意味なく盛り上がっていた.でもこの曲,本当はアメリカの貧しいワークアウト層出身の若者(ブルース自身そうだった)を元気づけるための唄だったそうだ.実際に世の中にこの曲が出るまでもいろいろな紆余曲折があったようだ.

ブルースが抱く悩みは,スーパースター,億万長者になった自分自身が,ワークアウト層のこの唄を歌うことによる矛盾にあるという.またこの悩みは後年もずっとつきまとっているそうだ.(でもこのような矛盾というのは,多かれ少なかれ誰でも抱えているものだ.レベルは違うが,あの日本シリーズの交代劇だって,善悪の問題ではなく,自己矛盾の中でとった指揮だと思う)とまあ,1度の読後感のみで書いているので細かいところは違っているかも知れないが,こんな感じで全編詳細に書かれていて読み応え十分.クラシックのことは曲も演奏者も殆ど知らなかったが,それでも面白かった.「意味がなければスウィングはない」というのが本のタイトル(だったと思う).

というわけで,休日らしく一日が過ぎた.やろうと思ってたことは皆ペンディング.明日出来ることは今日するな.これは社会に出てからのモットーの一つである.

2007年11月3日土曜日

私にキスして

土曜日,文化の日: 本当に良く寝る.夜寝て,朝寝て,昼寝ると言った感じ.寝て体力を温存しているときに,体の中での Chemical Reaction を促進させているとでもいうか.胃にまだ違和感がないわけではないが,それでも入院の頃とくらべると雲泥の差.また,どんな姿勢でも眠れるようになった.これは my bed の特権かな.

にしても,楽しみに手に入れた,Window mobile 思いどおりに動かない.そもそも User Interface に慣れていないこともあり,何でも手探り.HSDPA 通信, GPS, MAC とのリンク,なんでこんなにうまく行かないのかねえ.残念ながらあまりに minor すぎて,web にも情報は一切でてないので,まあ自分が実験台になっているということか.

何度か宅急便が来て,入院と同時に壊れた windows Note の代替機が届いた.ソフトも併せて送ってもらい,これからインストールしなくては.根っからの MAC 使いではあるが,この Think Pad だけは思い入れがある.MAC と同じで,やたらに軽くしないで堅牢なところが好きだ.親会社が変わっても designed in Japan は息づいてるし.このシリーズになって5代(台)目かな.

入院シリーズ: 車が無事修理されて戻って来た.4気筒のエンジンのうち1つが機能してなかったそうだ.ちょうど定期点検のときだったので無料で生還.ところが...今度は電子レンジが突如不調に...(この手の不調は家内が不機嫌になるのでなるべく勘弁して欲しい).最近の家電は24時間サポートがついており、電話をしたところインバータの故障ということになった.さすがに重く入院は無理なので,月曜日に往診してもらうことになった.

昨夜の夢は前向き?だった.出れない筈の学会に出席している夢だった.もう一つの夢は奇跡みたいだった.なんか学園祭で歌うことになりそのリハーサル.新しく買ったギターがあまり鳴らず弦も切れていたが,なんとかスタート.陽水の「限りない欲望」を歌おうとして,最初の音で外して大慌て:笑.そのままめげずに続行,キーを変更して別の曲へ.これが,20才くらいまで,恥を知らぬころ,よく歌っていた曲.その後現在まで殆ど口にしたことはなかった.その曲を歌い始めたのだ.夢の中で歌っている自分と,それを客観的に見ている(コードと歌詞を確認している)自分の両方を確認できた,不思議なひと時だった.今日のブログのタイトルはこの曲のタイトル.

今日は OB 卓球大会で盛り上がっている筈である.明日には様子が知らされるか?また,海外から査読依頼が届いた.1対1なので結論が欲しいそうである.頼りにされている間はやらせていただこう.その他,宮部みゆきの「模倣犯」を読み始めた.この時期殺人事件はいかがなものかと,ふと思ったりするが:苦笑.描写が細かいなあ.家内は,赤川次郎くらいの方がいいんじゃないの?というのだけど.と,ここまで書いて睡魔が..おやすみなさい..

2007年11月2日金曜日

休日前

金曜日: 久しぶりに朝を家で迎えた.明け方に一度目が覚め,しばらくゲップを出すため!(寝るのは気持ちいいのだけど,そのうちガスが貯まってきて目が覚める)にソファに腰掛けてじっとしている(これって外から見ると妙だろうね).無事出せてもう一度床へ.

6時半頃から家族が起き始め朝の準備が始まる.テレビが朝のニュースを流し,家内と娘がいろいろ会話している.それを寝床から聞いているわけだが,全くそのペースの早さについていけない,こちらも朝型で,朝からそのテンションはやめて,とよく言われたが,今はその逆.頭がなまって行くのか,退化していくのか.

毎日がお休み状態になると曜日感覚がなくなる.なんとかキープする目的もあってブログをつけているわけだが,それでも,明日が休み,ということに気づくのに時間がかかった.そうか国民の休日だ.OB 卓球大会が明日あるとの連絡をもらって思い出した.この大会第1回から関わっており,顔を出せないのがとても残念.世代は違えど,共有しているものが同じ仲間達が集うと,大会も after 大会も異様に盛り上がる.明日も盛会だろうな.

自宅に帰り,多少(かなり?)の融通(わがまま?)がきくようになり,食欲も少しずつ上向きに,病院ではゼロであった食欲が,昨日は離乳食,今日は幼稚園児のお弁当,くらいにまでは回復.水をとること,栄養をとること,は退院前のオリエンテーションで散々言われたので頑張りどころ.入院前の生活と比べると,寝ること,食べること,が努力項目になるとは思いもよらなかった.

今週の前半は,入院3週目ということもり,あまり詳しく病状について話さなかった方々から,突然のお見舞いや電話をいただいた.皆さん,外科手術がそろそろ終わり,体力回復時期か,と思われたそうだ.同様に水曜日,「抗がん治療から始めると聞いて,なかなか受け入れられなかったよ」と大学の常任理事の方が来て下さった.「元気そうでよかった,行けるよ大丈夫だよ,是非これを読んで」と,我が大学の創設者(1万円札の方)に関する本を差し入れていただいた.時間は一杯あるので是非読みたいのだが,ちょっと字が小さい&漢字が多い:苦笑.

また前の会社の同僚から手紙をもらった.一つは,シニア向け雑誌に掲載された,我がアイドル Larry Coryell インタビューが同封されていた.レアもの.困難からいかにはい出したか.もう一つは,一緒によく陽水を聴きに行った方から.今も Birthday Mail は送りあってる.つい入院する一ヶ月前にやりとりしたばかり.ラジオ出演記念テレカありがとう(携帯の使えない病院では貴重!また使うときがあるだろう)その他,ドイツからまた2通の encouraging mails をいただいた.一つは重厚な激励文,もう一つは軽やかなブラックジョークの混じった(僕ならこちらかな)激励文.

今日は調子が良かったので,例の電脳ガジェットの封を開けて,遊び始めた.が,なかなか思うように設定できずややフラストレーション気味.加えて画面がやはり小さいので,すぐに疲れる.これは本を読んでもだいたい同じ.でも,一日の中でも,緩やかな波がいつ現れるのかがわかってきた.このリズムをうまく利用し,逆らわずに(変に頑張らずに),明日からの休日を過ごそう.

2007年11月1日木曜日

退院の日

木曜日: 入院している間に随分と寒くなったようだ.今日顔を合わせた方皆さん「寒くなったので気をつけて下さい」と言って下さる.この部屋は暖かかったのであまり気づかなかった.でももう11月なんだ.病室の Check out? は9時半なのだが,今日この部屋に入院する方が決まっているわけではないので,11時くらいまでは部屋にいていいそうだ.常にこの病院は満床ということで,午後には新しい方が入られるのだろう.

例によって?モノが増えており,それをパッキングするのに一苦労.今日は家内が車で来てくれるので,まあなんとかはなるだろう.入院中は下着と寝間着しか替えないので,非常に楽だった.逆にいつもの格好に戻るのが面倒臭い:苦笑.そろそろ着替えるかと思いきや,替えのポロシャツがないことに気づく.そんな早く退院するとも思ってなかったので支度してこなかった:笑.たまたま,ボストンレッドソックスの松坂 T シャツが手元にあったので,これを着て上着を羽織って帰ろう.

午前10時過ぎ,家内が車で到着.今度は車の調子が悪くなり,全くスピードが上がらないとのこと.ゲゲゲ.これで坂を登り高速走行するのは心もとなかったが,それでも何とか家にたどり着いた.(早速ディーラーに電話.しばらくお泊まり:またもや新たに入院!することに:苦笑)

久しぶりの自宅,車に乗っていただけなのだが,体力が落ちていてホント辿りついたって感じ.今日の日に備え,寝る場所を2階から1階へ,トイレや洗面所に近い和室に,息子と家内が移してくれた.そのままぐったり寝込んだ.夕方起き上がったものの気分はあまりよくない.病院に慣れた体を今度は家に合わせるのに苦労している,とでも言うか.先行きがちょっと不安に..

が,頑張って(この場合無理して)夕食を食べていると,家内から,赤ん坊の離乳食と一緒だね,とからかわれる,帰宅した娘からも全然痩せてないじゃん,と笑われる.日本シリーズを見ていて俄然元気が出て来た.山井投手すごい.あそこで岩瀬投手に替える落合監督もすごい.レッドソックスの優勝も嬉しかったが,中日の優勝も嬉しい.思わず気分が高揚し,勢い食欲も出て来て,デザート(果物と栗まんじゅう)を少し食べた.

そのままメイル等を読んでいて,ふと時間を見ると夜10時30分.そうだもう消灯はないのだ.今日からマイペースで過ごせるのは嬉しい.急がず,焦らず,また,誠実に,さぼらず,一つずつコマを進めよう.

 

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