土曜日: 病気と闘う、という言葉はよく見かけるし、人からも声をかけられることも多い。うちの家内にも病気になったおりに、身をもって闘うという文字の意味がわかる、と言われたことを思い出す。病気の治療、治癒に努めてる姿がまさに闘っているという行為であり、つまるところは、この手強い相手に精神的に負けるな、という励ましである。
一方で、「病気と闘う」という表現は良くない、という医師や薬剤師の方の文章もしばしば目にする。少なくとも「ガン」の場合は、「受け入れ、ガンとともに共存する」と考える方が良い、ということだ。なのでガン細胞をやっつけるとか叩く、という表現は使わない方がよい、ということだ。
特に(自分も含め)長期戦になる場合は、最初の段階で猛烈に頑張り、結果的に期待どおりにならず気持ちが落ちこむよりも、ありのままを認識した上で、如何に生活の質を高めることを目指す、という意味だろう。以前にも書いたかもしれないが、患部に優しく問いかける、という治療法もある、こんなときは「敵」に微笑みかけるわけにはいかない:苦笑。
自分も、この受け入れる、共存する、ということに自分の可能性を見ているので、闘うとかやっつけるという言葉は自分では使わないようにしていた。本質的にはこの気持ちは変わっていない。が、4月に入り環境が変わってから、少し考えが変わってきた。なんていうのだろう、少なくとも色々な行為の過程で生じるネガティブな状況に対しては、少なくとも自分は闘っている、と感じ始めた。
最近では、副作用から生じる痛みや不快感にぐっと堪えている自分がいる。病気を受け止めて覚悟を決めている自分も入れば、瞬間瞬間を顔張っている自分もいる。単なる言葉の遊びかも知れないが、闘うことでネガティブな状況を打破できなければ、大局的に病気を受け入れることもできない、と思うようになった。
例えは悪いが、どうしようもないない本当に不良息子がいて、そいつを更正するためにあの手この手を使う。完全には更正しなくても、十分に一緒にやっていける程度まで顔張る、って感じかな。
今日は非常に平穏な日だった。久しぶりにこんなことを考えて過ぎて行った。
2008年4月19日土曜日
闘う; revisited
投稿者 ngcoryell 時刻: 18:41