2007年10月12日金曜日

前夜まで

10月10〜12日: 入院を早くて来週からと予想し(実際は週末土曜日だった),週末までにすべての仕事の引き継ぎを終えることを決意.授業,学内役職,各種外部との打ち合せ,国内学会,国際学会の講演や役職,それから依頼講演等,すべてキャンセルあるいは代行の段取りが必要.この3日間は,気が張っているのか体調は左程悪くはなかった.

ほぼ毎日,授業の調整,外での仕事の調整,卓球関係の調整で1日が終わる.親しい人には正直に語る.みんな心配してくれ,励ましてくれる.治った人の話をいっぱいしてくれる(死んだ人のことを話してくれた人もいたけど).みんな何かできることはないかと聞いてくれ,御願いした仕事は気持ちよく(仕方なくか?)引き受けてくれる.本当に感謝.またこちらからの連絡メイルが届くやいなや,返事を書く以前に直接多くの電話を頂いた.勝って戻るとの約束を一杯させられた.これらの方に報いるよう何とか頑張りたい.

海外はどうしようかと迷ったけど,家族ぐるみで親しくしている UCLA の先生,この10年,ときにタッグを組んで一緒に国際会議の開催や研究,教育交流を進めて来た NUS の先生,11月に訪問し,今後の交流を深めようと思っていた SNU の先生方,にだけ連絡を入れた.最初の二人はさながら戦友なので,正直にメイルに書いた.すぐに激励のメイルが帰って来た(なるほど英語ではこうやって励ますのか!).「全然心配してない,ゆっくり休め,皆がついている,また会おう,頑張れ.」ただただ感謝.

12日バリウムの検査に病院へ.病院では定期健康診断の同僚の方々によく出会う.軽くいつものように会釈をする.11時の予約だったが,9時に行って放射線科の先生を訪ねてくれ,とのメモを火曜日の先生から渡されれていた.行くと森田健作風?の技師の方が現れ,しっかりとアテンドしてくれた.結局11月予約だった CT を1ヶ月早くうけることができ,またバリウムによる撮像検査も昼までに受けることができた.森田健作風技師曰く「やはり仲間意識があるのでしょう」「連絡とりあって万全のサポートですから」多少誇張は入っているだろうけど,気弱になっている身分にはとても暖かい.

12日の検査が終了時に内科の先生と電話でお話しした.これが外来検査の結果の通達ということであった.大至急入院して治療開始することを再確認した.9日に渡された検査日程では,通常のルートだと最悪1ヶ月は遅れていただろうから,この進展には驚くと同時に,対応していただいた先生方に大変感謝したい.

とはいえ,こんなに早期に多くの検査を受けるということは,ただならぬ状態であることくらい,いくら楽観的な自分でも気づく.この件で,ちょっと家で家内と口論.家内も楽観的?に,すぐに「早く手術」「外科」等の言葉を発して鼓舞してくれるのだけど,病院にいった2日間,手術するようなことは全く耳にしなかったので,「診断結果が出るまで手術のことは口にするな」と怒ってしまった.火曜日の検査以来,最悪の事態まで考えているので,時折マスコミに出てくる「早期生還」のようなパターンでなかったときのギャップを恐れて口に出たのだろう.やはりストレスはあるのだ.

一応万が一のときのために,今入っている保険関係を調べた.10年程前に国内生命保険(掛け捨て)から,外資系の生命保険に変更した.掛け金は5倍程になったが,変更しておいてよかった.入院時の保険も別途加入していたので,個室にも何とか入れそうだと思う(経済的に).

最後に研究室の皆を集めて,事の次第を柔らかく伝えた.つとめて明るくしたので,もしかしたら,皆すぐに戻ってくると思っているかも知れない.もちろん戻ってきたいのだが.幸い研究室の方は,助教である二人の教え子が切り盛りしてくれるだろう.負担をかけるのが申し訳ないが,これを機会として,実力と経験値を上げてもらいたいものだ.ありがとう.


金曜日,入院前最後の授業を行った.やはり体力は落ちつつあるのか,非常に疲れた.明日からの入院で助かった.家に帰ったら、娘が,家族の思い出のつまった写真立てをくれた.全9枚.一言メッセージには,高かったんだぞ.感謝しろよ.とあった.戻ったら10倍返ししてあげる.

 

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